2017年04月25日

ナンパ師は、現代のサムライである。

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我々は、わりかし自由に、平和に生きていると思っていた。どころが、何かが違う。

どこか不満であり、おぼろげな不安がつきまとう。なぜならニセの自由だったから。

我々は騙されていた。ニセの自由だけが与えられ、牧場にて飼い馴らされていた・・。

試しに、たった1人の女に声かけようとするだけで、自分の不自由さに気づくだろう。

たかがナンパだろうと馬鹿にしていた、軽い行為の初っ端でも、身がすくんでしまう。





声をかけるというのは、ニセの安楽に囲まれた牧場から、外へと飛び出すことである。

その際、自分に繋がれた首輪や鎖を、断ち切らなくてはいけない。それも、すぐさまに!

マトリックス牧場への誘惑はしぶとい。どんなに遠くへ逃げても、それは追ってくるだろう。

しかし我々には、それを一刀両断できる「真剣」がある。何無派師にとって、最大の武器。

この腰に差した「刀」が、鎖を断ち切る極意。声をかける原動力。「刀」こそが「力」なのだ。

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2017年04月24日

まずは「和」のナンパ入門者へのプレゼント。

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これからナンパを始める者、それも、日本の風土に合った「和道」を愛する者へ。

安っぽいアメリカかぶれのナンパにウンザリし、心身を極限まで開くと決めた者へ。

やたらと他者の情報に縛られた「家畜」状態に辟易し、真の自由を求めたる者へ。

そんな「和道」の門をくぐる入門者たちには、すべからく最強の武器が贈呈される。

その武器とは、どんな思考や迷いもスパスパと切り捨てる「日本刀」、真剣である。





これから「和の道」を歩む者は、常に腰に、斬れ味バツグンの「刀」を差すことになる。

もうカタギじゃない。家畜ではない。自由を標榜する、立派な「何無派(ナンパ)師」だ。

もちろん、この「刀」は、実際に持つと銃刀法違反で捕まるので、想像上のものである。

しかし、これは「何無派師」ならではの覚悟を具現化した、ガチで使いこなすべき武器。

なぜなら、決断力というのは、決めて断つこと。余計なものは、すべて斬り捨てるのだ!

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2017年04月23日

武士道を超える、ナンパの確立へ(和道建立)

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あらためまして、私が家元です。当初は、半ばフザけて名乗っていた、この称号。

20世紀少年の「トモダチ」に対抗して、なんとなく「イエモト」にしていただけでした。

ところが、ここにきて、ガチで「家元」になろうとしている自分に、驚きを隠せません。

それだけ、たんなるナンパというものに、凄まじい可能性を見つけてしまったのです。

これは最後に、まとめておかなくては!と姿勢を正しました。だって他に誰が出来る?





私はナンパを、人と人とが和する道と捉え、「和道」として完成させようと決めました。

具体的な戦術としては、『ナンパ五輪プログラム』にまとめましたが、これとは別です。

あちらが宮本武蔵による「五輪書(ごりんしょ)」ならぬ「五輪音(ごりんね)」であるなら、

このブログは、もっと大きな概観としての書であり、新渡戸稲造の「武士道」になります。

それも、もはやパロディですまさず、ガチで「和道」を、武士道を超えたものにするつもり。

(日本の歴史上、かつてない程に、とんでもなく、カッコよくします。)

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2017年04月22日

ふたたび戦争の時代へ向かう今、何をすべきか?

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引きこもりはラクで、楽しいです。全部、自分の思い通りにいくから、最高です。

ところが、ずっと1人だと、いつの間にか停滞します。皮肉にも、他者と関わり、

多少は大変な目にあった方が、1人でいる喜びが増大する。だから、ナンパ。

見知らぬ他者と、短時間でも交流することで、自分の世界を構築し、破壊して、

更新していく。それも自分の好きな情報で固めて、世界観を自由に創造します。


これをセカイ系のナンパと呼んでいました。ある程度、女性と関わるとはいえど、

自分勝手な趣味の世界に閉じている傾向が大きく、極めて内向的なナンパです。

私も、これで満足していたのですが、そこにある時、東日本大震災が起こります。

あの地震で足らぬ、津波に原発事故という衝撃に、私のセカイは、揺さぶられた。

命の危険を感じ、逃げようとまでしたし、強い「現実」によって、人生観が変わった。





つまり、自分の趣味的な世界観の構築など、大きな現実の前では、あまりに脆弱・・。

もろくも崩れ去り、アタフタと震災の現実の前で、右往左往したのです。しょせんはね、

平常時に、頭でこさえたものなど、吹けば飛ぶようなもの。これでセカイ系は、やめた。

そこで、さらに日本の伝統を勉強するようになった。より強固で安定した材料を使って、

自分の世界観を再構築しようとしたわけです。これが、自分の家を作る「家系」ナンパ。


まぁ結局のところ、自分の趣味的セカイで固める点では「セカイ系」と同じです。ただし、

多少は「私」的から、「公」的にシフトしてきています。特に、日本に昔から伝統している、

修験道から、落語や武術を取り入れることで、独特の安定感を持ったナンパが出来た。

ところが去年、私は本物の「死」に直面します。いわゆる臨死体験で、真理を見てしまう。

その結果、とんでもない変容が起こり、自分の使命も知った。それが「和道」の確立です。

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2017年04月21日

さて、最後のメッセージは届いたかな?

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本日をもちまして、『ナンパ五輪プログラム』の初陣の配信が完了しました。

50日間、本当にご苦労さまでした。しかし、究極に伝えたかった事は少なく、

実は、あのラストの数行こそが魂のメッセージです。だからといって、ここに、

今、それを書いても、何も伝わらない。あれは、音声だからこそ、伝わるもの。

というよりも、あれに到達するために、それまでの12時間半があったのです。





はたして、自由を求めてナンパに飛び込んで、12年半。どこに到達したのか?

その最終の答えは、『ナンパ五輪プログラム』にて完結しました。そしてお次は、

このブログです。今度は、その先へと向かいます。それがナンパの大系化です。

以前より、ナンパを日本の伝統で装飾してきましたが、あくまで趣味的な遊びで、

不完全でした。ところが、ここにきて、ついに結実し、大輪の花を咲かせたのです。

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2017年04月15日

世間にバカにされようと進め!我が道を!

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ナンパとは、世間から冷笑され、無視され、バカにされるための修行である。

我々が最初に相手するのは、女個人個人というよりも、集合としての世間だ。

そんな世間に穴を開け、突きぬけていくには、1点に集中しなくてはいけない。

意識を拡散させてはいけない。細〜く小さく、意識を集中させ、とがっていこう。





我々は周囲の意見に左右され、いい格好ばかりしようと、動けなくされている。

でもバカにされるのが平気にならないと、仕事でも何でも自由に出来っこない。

しかもバカにされる痛みを超越した者は、必然的に、他人をもバカにしなくなる。

ナンパが「和の道」と呼ばれるゆえんは、ここにある。小賢しさよりもバカ革命!

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2017年04月14日

戦後のナンパ教育の弊害(今こそ、スタンド使いへ)

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弱者が、街で声をかける時、周囲の視線が気になります。臆病で内向的なので、仕方ない。

この恥の文化を中心とした日本で、街中で声をかけなくてはいけない、これは難しいことです。

ナンパというのは、和の道ですから、常に矛盾を抱えます。実際、声をかける時、周囲ばかり、
気にしていたら、恥ずかしくなり、まず声かけれません。これが無言の同調圧力というやつ・・。

なんたって、声かけないのが普通なんですから。そこから飛び出すのは、考え出したら、もう、
ムリです。だから同調圧力を突破するためには、意識を集中させないといけない。要するに、
周囲なんて除外する。声をかける標的に1点集中してパッと入る。この意識の「絞り」が必要。

これを「思考」からの離脱と呼んできましたが、さらに詳しく説明するなら、意識の「絞り」です。


意識にはズームインとズームアウトがあって、実は、普通の人はこの調節がサビついていて、
なんとなく生きています。スポーツや武道などで、よく使ってた人は、わりかし声かけれますが、
平和ボケして使ってきてない人は難しい。ゆえに、ここに最初から、個人差が現れるわけです。

言葉にすれば「集中と拡大」となり簡単ですが、普通の人にはその凄さが全く理解できません。

戦後のナンパ教育が間違っていたのは、ルックスだけ磨けばいい、という物質的アプローチと、
いやいや、トークこそが重要なんだ、という理知的偏重でした。本来、最も大事な内面問題は、
「ノリ」だ、「根性」だ、といった曖昧な言論しかなかった。そこを徹底究明していったのが、和道。

ここナンパ道場では、この内的操作の領域を「スタンド」と呼びます。スタンドとは、立つことで、
自立を意味しますが、同時に、蛍光灯のように、闇を照らすことも意味する。つまりナンパ師は、
一隅(いちぐう)を照らす者といえます。まずは自分が輝き、他者をも輝かす、日本の希望です。

posted by fmtbank at 12:49| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする