2009年11月02日

新たな恋とダブルショック!

ちょうど10年前、1999年頃の話である。私は焦っていた。

これまで、まだまだ若いしと、いろんなことを先延ばしにして、
ダラダラ過ごしていたのが、いつの間にやら、世紀末である。

こうなったら、ノスタルダムスの大予言によって、地球が終わる
かもしれないので、やりたいことは全部やっておこうと決めた。

なんせ女関係も仕事関係も、全てが満たされていなかったのだ。

女関係は、かろうじて、『どうでもいい子ちゃん』と名付けたように、
まったく何の気兼ねもない、季節ごとに会う程度の遠距離の相手
がいたのだが、仕事関係は何一つうまくいかず、バイトをしていた。


なおバイトは、日払いの力仕事や倉庫内作業などを週二回ほど、
やってきただけで、社会人としての経験は、ほとんど積んでない。

ただし唯一、TV番組のロケの音声のバイトだけは、長く続いた。
よくTVでみる、ピンマイクつけたり、長いマイクを持つ係である。

子供の頃から、音声を録音するのは好きだったし、プロ仕様の
マイクを扱うのが楽しくてしょうがなかった。だが、番組制作とは、
バリバリの体育会系である。カメラマンに絶対服従のような感じ。

何度もこっぴどく怒られて嫌になったが、いつも、いろんな場所に
行けるのが楽しくて、なんとか続いていたようなもの。しかしながら、
次にカメラマンが何をしようとしているのかを読む訓練をしたため、
ナンパでも、相手の心を読もうとするクセがついて、役立ったかな。


結局、そのバイトはやめてしまったが、私はマスコミ関係に進もうと、
放送作家を目指すことにした。理由は、人前に出ずにすみ華やかで、
しかも、面白い人達が多そう、そんなイメージから決めたのである。

当時は、マスコミ関係の仕事が、一番面白そうだと思い込んでいた。

なんたって、映画にマンガにドラマにTVと、面白いものは、ほとんど、
マスコミから流れてきていたのだから、そう思うのもムリはないだろう。

そこで私は、恥ずかしながら、小さな文章を書くスクールというか、
カルチャーセンターに、毛が生えたような講座に通うことになった。


残念ながら、その講座自体こそ、意味がなかったが、おかげで、
新たに好きな人が現われた。私と同様、みんなと溶け込めずに、
ワイワイやってる話の輪からポツンと離れていた女の子である。

みんなの人気者になるような女性ではないが、地味ながらも、
彼女の神秘的な可愛さと、内面のユニークさに心を奪われた。

結局は、何年間も、振り回されることになってしまうのだが・・・。





文章講座には、すぐ行かなくなったが、彼女とは何回かデートし、
お互いの作品やアイデアを発表しあった。なんといったらいいか、
彼女は、独特の世界を持っており、本当に面白い!と感動して、
好きになってしまった。とても尊敬し、もはやお姫様扱いだった。

かつて恋に落ちた相手は、第一次ひきこもり期の時の女の子で、
これはただ見た目が可愛かっただけだし、その後、長くつきあった、
『どうでもいい子ちゃん』は、何も気を使わなくてラクだっただけだ。

今回のような、ルックスの可愛さと、内面の面白さとの両方により、
心惹かれたのは初めてで、まさに運命の人だ!と有頂天になった。

彼女も、私との出会いを心から喜び、これは、そのままスムーズに、
つきあうことになるだろう、と確信したのだが、私は大きなミスをした。

それは、その後、何度も何度も後悔するような、大きなミスだった・・。


彼女は、すでに彼氏がいたのだが、もう腐れ縁で、ハッキリいって、
好きでも何でもなくなっていたらしい。彼女の書いた作品にも全然、
興味を示さず、デート中にもグズグズしているので、彼女がキレて、
帰ろうとすると、道の真ん中で泣くそうだ。非常に弱気の男だった。

ハッキリいって、私は、その彼氏をなめていた。もはや敵じゃないし、
どうぞ自由にしてください。俺達は、こんなに気が合うんだからと、
彼女がその彼と北海道旅行にいく、という話にもOKしてしまった。

私と出会ったので、彼女は、旅行をキャンセルしようとしたのだが、
その彼が、もう代金は振り込んでしまったから違約金が必要だと、
それを払うならいいよ、という話になった。それは2万5千円という。

なんとまぁ、その時の、私の貯金額は、ちょうど2万5千円だった!


「わかった、それ全部払うから行くな」と、彼女に渡そうと思ったが、
でも生活費がどうのこうのと考えてしまい、また、どうせ腐れ縁の
彼氏と旅行いく位なんぞ平気だし、愛というのは、所有欲じゃなく、
全てを許すことだ、なんて観念が働いて、了承してしまったのだ。

彼女は、せっかくお金払ったし、じゃあ行ってくるね、おみやげも、
買って来る。と、名残惜しそうに、北海道へと、旅立っていった。

旅行中も、メールのやりとりをしていたのだが、彼女が帰ってきて、
ガクゼンとした。彼女はすっかり、その彼とラブラブに戻っていた!

よ、よ、よっぽど・・・、北海道旅行が、楽しかったのかな・・・。





アッという間に形勢逆転し、彼女と彼の間に割り込む隙間はなくなり、
途方にくれてしまった。私は、絶対に、旅行を止めるべきだったのだ。

そのために、ちょうど貯金額と同じ2万5千円が、キャンセル料だったり、
なんらかのサインがあったのに、私は動かなかった。頭で考えてしまって、
全てを注ぐ賭けをしなかった。所有欲は愛じゃない、なんていう、かつて、
本に書いてあった観念でごまかすのではなく、「ダメだ!」というべきだった。

私は、すっかり、かつてのような全てのエネルギーを賭けて、人を愛するなど、
出来なくなっていた。その割には、本で読んだキレイ事を口では述べていて、
心の奥底から湧き出てくる、本当に自分のしたいことは抑えていたのである。

「彼とは寄りが戻ってしまっても、これからも、友達でいいから会おうよ。」

私は、第一次ひきこもりを脱出した時のように、男と女の関係でなくとも、
愛というものは生まれるし、育てられるのだと、心清らかに、彼女の体にも、
指一本ふれないで、これまでのように作品を見せ合ったりしようとしたのだ。

ところが、追い討ちをかけるように、またまた、ショックなことが起こってしまう!


私の親友が、彼女とSEXしてしまったのだ。私はその親友に、彼女との相談まで
していたというのに、簡単に、やっちゃっていた。これで親友をなくすことになった。

私がその親友の携帯を借りて電話したことがあり、その親友が、そんなに面白い子
なら話してみたいと、酔っ払った時、リダイヤルしてしまい、そのまま会うことになり、
飲みに行って、ホテルに行ってしまったのだ。これを聞かされて、落ち込みまくった。

今思えば、その親友も寂しかったのだろう。類は友を呼ぶで、孤独な男だった。

しかし、悪いことをしたと、すまなそうにしていた親友は、なんとまた再会して、
やってしまった。さすがに三回目会った時は、「やっぱり彼氏に悪いから」と、
断られたそうだが、私は複雑な気持ちというか、混乱してしまった。なぜなら、
私との健全なデートはドタキャンしたのに、親友とのデートは応じていたのだ。

親友は、その彼女があまりにイイ体をしているから我慢できなかったと言い、
罪悪感も感じているようだったが、これで中学からの付き合いは終了した。
(そのおかげで私の親友は、高校の時の親友、一人だけになってしまった)

親友もなくし、好きだった彼女も嫌になり、なによりも、全てが中途半端で、
何も手に入れることがない自分自身が嫌になった。ただの偽善者だった。


そう、私も彼女とセックスしたかったわけだ。それを全く出さずに逃げていた。

ハートも全開できず、セックスにも正直になれない、中途半端な負け犬だ・・・。

なにが所有欲を越えた愛だよ!ただ臆病で、飛び込まなかっただけじゃん。

彼氏との北海道旅行も許したくなかったのに、偽ってOKしてしまっただけ。

その偽った心が、ノイローゼになる位のダメージでもって、攻撃にさらされた。

本音で生きない者は、最終的に、現実によって、追いつめられるのである。





この一連のダブルショック、そして放送作家の道も、実は、まったく好きでなく、
才能もないし、やる気もないことが自分でもわかり、私はすべてが嫌になった・・。

もう今後の人生、何をしたらいいのか、まったくわからなくなってしまった。

いっそノストラダムスの予言通り、99年の7月に、地球が滅びちまえ!

そうも思ったが、月日は淡々と過ぎ、8月になった。予言は外れた。


うだる夏の中、一切の希望もなく、もはや何をする気力もない。

こうして私の、つらくて孤独な、第二次ひきこもり期が始まった。


(『闇あれば光あり』へと、つづく)
posted by 家元 at 23:07| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月06日

悩みが一瞬で消えたとき

人生には、まったく身動きとれなくなってしまう時がある。

第二次ひきこもり期の、最初の半年ぐらいがそうだった。

私は、すっかり絶望し、何もやる気がおきなくなっていた。

またも出会えた運命の人とも、結局、電話で口論してしまい、
うまくいくと思ってたのが一転し、もう会うこともなくなっていた。

つまるところ、ただ一人の女性に対して失恋しただけだが、
そこには、ちゃんと正面からぶつからなかった後悔とともに、
中学からの親友の裏切りも伴って、いっそう傷は深かった・・。


しかも、その彼女とは、完全に音信不通ならよかったのに、
彼女は、いちいち妙な間隔で、メールを送ってきたため、
忘れられずに、ズルズルと引きずり続けてしまったのだ。

私としては、ちゃんと区切りをつけようと思っていたのだが、やはり、
メールのやりとりができるのなら、また再会することになるのかと
期待するのだが、会おうとすると、ピタッと彼女からの返信はない。

そして、やっぱりダメかとガッカリしたら、しばらくすると、またまた、
彼女から何もなかったようにメールがくる。これには、実にまいった。


彼女は会う気はないのに、メールのやりとりだけはしたかったようで、
それに振り回される形でもって、私は、さんざんメールを送り続けた。

こうなったら、メールの面白さや深さで、彼女の心を打とうと思い直し、
とことん時間をかけて、メールを創作していたのだが、これはさながら、
第一次ひきこもり期の女の子に、手紙を書きまくっていた時のようだ。

ただし、違った点は、手紙から携帯メールに変わったことと、そして、
私は技巧派へと変わり、ハートからではなく、頭で考えまくっていた。

さらに相手の反応も、あまりに気まぐれで、まったく読めなかった・・・。


私は、目指していた放送作家の仕事が向いてないことにも気づいた。

知人がすでに放送作家の仕事をしていたので、話を聞くと、なんたる、
地味な下積みを行っているようでウンザリしたし、自分が放送作家に
なろうと思っていたのは、ただの無職やフリーターという身分じゃ嫌で、
何か目指しているんだと、カッコつけていたいだけなのだと判明した。

なぜなら、アイデアもほとんど浮かばないし、そもそも文章を書くのが、
好きじゃないと、わかってしまったのだ。部屋にこもって、放送作家に
なるための計画や練習をしていたのは束の間で、もうアッという間に、
自分の文才のなさに絶望し、気まぐれな彼女にメールばかりしていた。

ハッキリいって、私にとっての喜びは、それだけだった。なんとか元気を
出そうと本を読んだりしても、全然頭に入らない。もう何も変わりやしない。


映画やTVや何を観ても、かつて感じたような楽しさや興奮はなくなって、
ただ空しさを感じるだけだった。もうほとんどのものは観つくしていたので、
同じようなパターンをなぞってるだけにしか、見えなくなっていたのである。

そんな中で、時々くる、彼女からのメールだけが最大のエンターテイメント、
私の生きる望みだった。電話には出てくれないし、会うこともできなかったが、
メールだけは返信があり、その小さな繋がりさえあれば、未来に期待できる。

彼女との関係で、中学からの親友をなくし、もう一人いた親友は九州にいて、
誰とも話さない生活が続く中、彼女との文通は、最後のオアシスだったのだ。





そんなこんなで半年くらいたった時、彼女から、「メールしても無駄ですよ。」
みたいな通告が突然きて、返信が途絶えた。私は、ついに恐れていたことが、
起こってしまった!と顔面蒼白になり、焦りまくって、何通もメールを送り続けた。

もちろん、返信はこない。あまりに苦しくて、なんとか気を紛らわせようとして、
本を開いたり、お笑い番組を観たりしたが、何ひとつ慰めにはならなかった。

私は、あぐらをかいたまま、猫背に前かがみになり、ウーウーと苦しく唸った。

一切の逃避行動がとれず、全く逃げれない状態で、追い込まれていたのだ。


私は、物凄く恐れていた。口の中に苦い味が広がるような、やばい感じで、
嫌な汗をかいて、「ダメだ!」と、こらえていた。何を恐れていたのかというと、
自分の中にある暗い闇みたいなもので、それがグングン迫っていたのである。

生まれて初めての不思議な精神状態だった。自分の中に底なしの闇があって、
それがもう、あまりに怖い、拷問のような感覚をもたらし、しかも、逃げようにも、
読書だろうが、お笑いだろうが、何の効用ももたらすことはなく、ありとあらゆる、
気分転換、ごまかしは通用しなかったのだ。ただただ、辛いだけで生き地獄・・。

しかし、私の精神というか、その状況自体には、ある訴えがあった。何というか、
その自分の中の闇に飛びこめ、というか、さぁ闇の正体を見てみろ!といった、
あるのっぴきならない切迫感である。理性は断固としてNGを示しているのだが、
私のもっと深い部分こそが、その恐ろしい闇の中を見ろ!と、がなりたてていた。


こうなったら、もうしょうがない。自分の中の、底なしの闇に直面するしかない・・・。

私は、あぐらをかいたまま、猫背に前かがみになり、歯をくいしばった。この時は、
決意や覚悟をしたのではなく、完全に追い込まれて、もうそうせざるをえないから、
涙目で流れに身を任せただけで、とにかく怖くて、ただジャンプした感じだった。

そうして、自分の中の闇を見た瞬間、思い切って、意識的に飛び込んだ瞬間に、
信じられないことが起こった。さっきまで自分の中にあった闇が消えたのである!


まさに一瞬の出来事だった。私はポカーンと口を開けたまま、呆然としていた。

あれ程までに恐れていた、心の闇の中には、実際、なーんにもなかったのだ・・。

あたかも、ドラマなんかでよく使う、ハリボテのセットのようで、正面から見ると、
立派な家なのに、裏にまわると、丸出しのベニヤ板があるだけで、家自体など、
本当は存在しなかったというような、安普請のふぜいだった。あっけなかった。

なんだ、こりゃ?と、私は、キツネにつままれたような気持ちで、苦笑していた。

すっかり恐れも消えてしまい、悩みもなくなり、ノンキな気分で、くつろぐのみ。

夜だというのに、ホトトギスの鳴き声が聴こえたような気がした。風流ですなー。





自分の恐れというのは、ちゃんと正面から見つめた瞬間、消え去ってしまう。

いわゆる、これが瞑想というやつだった。本では、さんざん読んでいたけれど、
実践はしていなかった。何度か試してみたが、ただ目をつむって座るだけで、
よくわからなかったし、それこそ大いなる時間の無駄に思え、すぐやめていた。

おそらく、あなたも同じような印象をもつことだろう。しかし、瞑想には凄まじい、
はかりしれないパワーがある。ただし、そんな効用を求めてやると、皮肉にも、
瞑想から遠く離れていってしまうかもしれない。思考を超えることが瞑想だから。

思考力さえ鍛えれば、うまくいくと思っている者は、その先で、必ず混乱を生む。
ノウハウさえあれば、行動さえすればと努力するものも、苦しみの中にとどまる。

自分の内面が世界そのものであり、そこを見つめて理解しない限り、クリーンに
しない限り、幸せはない。すべては、自己の内面からの逃避行為になってしまう。

どんなに社会的に成功しようが、たいていの人は、最終的には瞑想にたどりつく。

しかし、瞑想自体は、通常は、あまりに地味であり、役立ちそうもない代物であり、
なにかキッカケがないと、三日坊主で終わるだけで、なかなか続かないものだろう。


私はラッキーなことに、人生で追いつめられて初めて、瞑想に目覚めてしまい、
その後、狂ったように瞑想にあけくれることとなった。それは美しい体験だった。

今まで手づかずにしていた、自分の内側が、どんどん変わっていったのである。

そのキッカケが、気まぐれな彼女のおかげだったわけで、とにかくスムーズには
いかずに、次々とショックなことが起こり、さんざんメールで焦らされたりした挙句、
音信不通になった、その一連の流れこそが、私に大いなる変革をもたらしてくれた。

男にとって、「運命の人」というのは、必ずしも、つきあうことになる相手ではなく、
自分自身を変えるキッカケとなってくれる人である。むしろ、そっちがメインだ。

うまくいったケースなんて、その場では楽しかったり嬉しかったりするけれども、
たいして記憶に残らない。私が、初めてつきあうことになった女の子のことを、
『どうでもいい子ちゃん』と呼んでしまっているように、結局、どうでもよくなる。

ハッキリいって、男の成長に必要なのは、手痛いショック、大失恋だと思う。

そこに、死と再生があり、通過儀礼としての、男を勇者たらしめる道となる。


では、私自身は第二次ひきこもり期を、どのように脱出したのだろう?

ちなみに前回のひきこもり期では、同じ相手を再び好きになることで、
そのエネルギーを人生全般に放射させて使い、見事に脱出できた。

しかし、同じ手は通用しない。今回は、あまりに意外な方法だった。


(つづく)
posted by 家元 at 16:38| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

答えはいらない!瞑想せよ!

第二次ひきこもり期で半年たった頃、悩みが一瞬で消えたことがあった。

それは、たんに精神的に追い込まれて、悩みと直面せざるをえなくなり、
勇気を出して見つめただけのことである。悩みは見つめただけで消えた。

こんな経験は初めてで、魔法のように思え、これが瞑想なんだ!と興奮し、
それから狂ったように、私は瞑想にのめりこんでいった。もうありとあらゆる、
瞑想や呼吸法の手法を調べて、試しまくった。その際、本も読んでいたが、
それはあくまで補助で、ひたすら瞑想を朝から晩まで実践する日々だった。


正直いって、私の人生は、この瞑想三昧の日々にこそ、最大に変わった。

第一次ひきこもり期の恋愛は、あたかも悟りの一瞥を短期間だけ見せて、
あとはその記憶にすがるような感じだったし、タダナンパに励むようになった、
あの鼻血が出るようなエキサイティング日々も、この時期の変化に比べて、
根本的ではない。すべての変化は、この瞑想の日々が基本になっている。

それだけ瞑想というのは究極的であり、これなくして、今の人生はなかった。





確かに、本だって役に立つ。新たな価値観と出会い、人生が変わるかもしれない。

しかし、新たなことを始めても、必ず壁にはぶつかる。すると今度は、その解決法
を探すために、ま~た新しい本を読む。新たな情報を探す。それがあまりよくない。

そこに、新たなものなどいらない。今自分のいる状況と自分の内面を見つめれば、
答えは必ず出る。それが多くの者は、一番最初のつまずきで、新たなノウハウを
探す。ありがたいことに本にもネットにも情報は無数にあるし、どんどん新しそうに
見えるものが生まれてきているが、そこに答えを求めて彷徨うなら、ただの逃避だ。

なに、表面でチマチマやってんの、という話。海岸で、チャプチャプやってるだけで、
決して広大な大海原の深みにいこうとしない。本や情報だけを取り入れるというのは、
常に表面的なところで動いてるだけで、最後は必ずいきづまる。同じことの繰り返し。

行動しなきゃ意味ないと、目つむって行動するのも、結局は、堂々巡りになりがちだ。


そうじゃなくて、内面や状況というリアルにこそ、答えや宝物は隠されている。
ある程度、いろんな意見を読んだら、あとは内面、自分自身を見つめるべき。

しかし、自分の頭で考え、自分で行動してこなかった中古品人間は、これが、
なかなかできない。だって、答えがすぐほしい。不快からすぐにでも逃げたい。

だから、時間がかかるような、自分で問題を見つめるということができない。

少しは試みるが、すぐには何も変化がなく、時間の無駄だと思ってしまう・・。


もちろん、これは正反対である。自分の内面への回路が開いていない者は、
何をやってもたいしたことが起きない。欲求不満の日々と時折の喜びだけだ。

なので、迷ってる人に、すぐ答えを教えてあげるのは、ある意味、残酷である。

その迷ってる人は、自分の内面への回路を開くことができないではないか・・・。





私は、自分の内面に目を向けなかったことで、20代のほとんどを無駄にした。

ところが、瞑想によって内面の回路を開いたことで、30代は快進撃となった。

精神は、内側に開くことができれば、外側にも回路を開くことができるのだ!

どんなに良いノウハウがあっても、闇雲に行動しても、開いてなきゃ無意味。

ナンパが挫折した者は、いったん答えは脇にやって、まずは瞑想せよ!

posted by 家元 at 14:45| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

赤ちゃんから、やりなおす!

お金もいらない、何もなくとも出来るもの、それが瞑想である。

古くから、瞑想は、人を根本から救う、万能薬とも言われてきた。

私も瞑想によって、第二次ひきこもり期から救われた。というよりも、
途中からは、瞑想していたいから、自ら引きこもり続けたといえよう。

それだけ夢中になったし、一言で瞑想といっても、多種多様な方法
があり、ほとんどの本を参考にしながら、片っぱしから試していった。

それは、生まれて初めての内部への旅であり、感動の連続となった。

ただし、瞑想といえば、願望実現のためのイメージ操作が有名だが、
私はイメージが出来なかったので、ひたすら内面を見つめるだけの
受動的な瞑想に励んだ。それでも充分、爆発的な効果をもたらした。


コツとしては、まずは自分の肉体を感じることから始めて、それから、
思考を眺めるようにする。とにかく感じるという状態を覚えなければ、
何やっても、ただゴチャゴチャ自分で考えているだけになってしまう。

なので、まずは呼吸法や、「手が温かくなる」といった自律訓練など、
肉体に働きかけて変性意識に入る練習を、繰り返して慣らしていく。

これはナンパで、まずは結果より、声をかけて慣らしていくのと同じ!

声かけれなきゃ話が始まらないわけで、瞑想においても、心が静まり、
自分の内部を見つめられる状態にならないと、何も起こりやしない。


ナンパワールドに入るためには、初期において、せっせと声かけし、
土台を作っておかないと先がないように、インナーワールドに入り、
自己から解放されていくためには、「感じる」モードに慣れることだ。

といっても、そんなに難しいことではなく、ただ何もしなければいい。

瞑想のポーズも、なんだっていい。ただスーッと精神を受け身にし、
「今」を感じればいいだけで、やがてそれが心に革命を起こすのだ。





私の場合、最初の3カ月は、瞑想に関する本を読みながら、少しずつ、
試していった。ほとんど何も効果を感じなかったが、呼吸法やポーズを、
いろいろ試して遊んでいたので、なんとかモチベーションは続いていた。

それに、好きだった女の子からフラれてしまい絶望した時、一瞬にして、
悩みが消えたという成功体験もあったため、瞑想を信じていたのである。

ちなみに、「もうメールしない」と最終通告をしてきた彼女は、なんとまぁ、
またメールしてきて、やりとりは復活していた。相変わらず、気まぐれで、
何度も動揺させられたが、私は彼女への執着を、瞑想に利用しようとし、
落ち込んだり、嫌な気持ちになった時こそ、これ幸いにと瞑想していた。

そんな感じで、瞑想を続けていたある時、突然、大きな変化が起こった。


いきなり、大粒の涙が出てきて、内側からグワーッとエネルギーの塊が、
せり上がってきた。そして私は、ひたすら「ごめんなさい」と、謝り続けた。

これは、他の誰かに対してではなく、自分に対しての「ごめんなさい」で、
今まで充分に生きてこなかった、やりたいことを抑えまくってきた苦しみ、
それを訴える、本来の自分、いわば潜在意識に対しての懺悔であった。

好きなことを意識にジャマされてばかりで、潜在意識は、怒りまくってた。

瞑想というのは、人を素直にする。私は、しばらくの間、あやまり続けた。

この「ごめんなさい」の時期を超えると、すんげえスッキリし、浄化されて、
より深く、自分の内面に入れるようになった。いよいよ、次の段階がきた。

私は、今まで間違えた生き方をしてきたと、自らを恥じ入り、こうなったら、
生まれた時から、赤ちゃんからやり直したい、と強く思い、次に、そうした。


赤ちゃんというのは、言葉を使わない。全部、イメージや感覚だけで生き、
だからこそ、記憶力や直感力というのは、天才だ。私は、汚い大人となり、
すっかり、どうしようもない垢がこびりついた自分の脳を、清めたくなった。

考えてばかりで、自分にストップをかけるのではなく、素直に、ノビノビと、
みずみずしい脳を取り戻したくなり、赤ちゃんから、やりなおすことにした。

アホかと思われるかもしれないが、七田チャイルドアカデミーの幼児用の、
右脳トレーニングキットを取り寄せて、訓練を始めた。要は、自分に対して、
イメージ力に関しての英才教育を始めたのだ。来年、三十路になる男が!


私の脳は、すっかりサビついており、何かを想像しようとしても、ハッキリと、
浮かばなくなっていた。たとえば、リンゴを思い浮かべようとしても、ボーッ
と赤い感じだけしか浮かばず、イメージ力が、おじいさん並みだったのだ。

これじゃあいけないと、初歩の初歩、色を見てから目を閉じ、残像を利用し、
思い浮かべることから始め、色から形、そして写真と、どんどん複雑にして、
それでも、ちゃんと思い浮かべられるようにしていった。最後は、匂いだとか、
体感や音なども、記憶で取り出せるようにし、イメージを動かす訓練もした。

そうして、ただ受動的に瞑想するのではなく、自由に記憶やイメージを、
自分の頭の中で操作できるように訓練していき、カードの裏を透視したり、
予知してみたり、直感トレーニングなども、どんどん増やしていったのだ。

気づけば、朝から夜中までビッシリと、室内での瞑想トレーニングの日々・・。





これだけやれば、さすがに瞑想も深まり、イメージ能力も身についてきた。

かつては、リンゴを思い浮かべても、ボーッとした赤い色しか思い浮かばず、
まったくイメージ力がなかったのに、いまや、完全に写実的でリアルなリンゴ
を思い浮かべ、しかも巨大化したり、中に入って食べたり、自由自在になった。

こうなってくると面白くてしょうがない。私は天才への道を目指すことに決めた。

しかし、実は、この時点で、すでに引きこもって、二年もの月日が経過していた。


まずは、自分を清めるための受動的な瞑想をメインとして一年がたち、さらに、
二年目は、イメージ能力を活性化するための、積極的な瞑想をメインにした。

私の、「赤ちゃんからやりなおす」プロジェクトは調子よくて、つづく三年目こそは、
天才となるための訓練をメインに、頑張っていくつもりだった。しかし、転機がくる。

次第に瞑想が深まるにつれて、開けてはいけない心の扉を開いてしまったのだ。

瞑想をなめちゃいけない。心の奥底には、すえ恐ろしい、パンドラの箱があった。

私は半狂乱となり、この静かな生活から、最後は、脱出せざるをえなくなる・・・。

posted by 家元 at 16:51| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月18日

瞑想のやりすぎには注意

とにかく自信がない内向的な人には、瞑想が大きな武器となる。

どうしてもナンパがうまくいかない人は、瞑想もするべきだと思う。

よく自己啓発書にも、自信に満ちた自分をイメージしたり、願望が
実現しているところを鮮明に想像すると、うまくいくと書かれている。

ただし、挑戦してみて挫折した人は、かなりの数いるに違いない・・。


なぜなら、自分の脳を操作しようとするINPUT系の瞑想というのは、
けっこう難しい。自分のネガティブな部分を認識せずに、ただただ、
嫌なところは見ないで、その上から理想的な自分を上塗りするだけ。

それは、クソの上に金粉を塗りたくっているようなもので、もう簡単に、
ボロが出る。表面的な取り繕いにすぎない。それよりも、まず最初に
やるべきなのが、自分の中を浄化する、OUTPUT系の瞑想である。

これで心をクリーンにしてからでないと、結局、何も変わりやしない。





OUTPUT系の瞑想とは、ただ自分の中を見つめて、大掃除すること。

たんに受動的に見つめてるだけで、ポコポコと、普段抑圧してきた、
自分の感情や記憶が浮かび上がってくる。そして見れば消えていく。
(子供の頃のトラウマも、大人の自分がちゃんと見れば消えるもの)

ナンパのように、たいがい最初は何も起きないから、忍耐が必要だが、
私自身も、数ヵ月後に、いきなり凄まじい「ごめんなさい」という感情が、
浮かび上がってきて、一気に浄化されたことがあり、それからは前より、
深く瞑想に入っていけるようになった。そこで初めて、INPUT系に入った。


やはり最初は全然イメージできないので、まずは赤や青とか、いろんな色
を見てから目をつぶり、残像を利用してイメージを試みた。そうして形から、
写真へと複雑なものに挑戦していき、最後は写真がなくとも、山とか海とか、
いろんな場所にいる自分を想像したり、体感まで再現できるようになった。

なぜ、こんな地味な訓練を、部屋に引きこもって何年間もできたかというと、
想像力を自由に操るものこそ、世界を操ることになり、最強だと思い込んで、
はまりまくっていたからである。これだけで、全てうまくいくと信じ込んでいた。

その割には、実生活に役立つことはせず、ひたすらエンターテイメント系の
瞑想ばかりして遊んでおり、まだ社会に出る気は、さらさらなかったのだが・・。


今では、すっかりテレビや映画も見なくなっていた。なぜなら、目をつむれば、
瞑想に入れば、勝手に第三の目に映像が流れて、そっちの方が面白かった。

その映像というのが、自分で想像しているうちに勝手に展開を始めて、意外な
方向に進んだり、アッと驚く登場人物が出てきたり、自分一人にしかわからない
ギャグというか、コントというか、シュールきわまりなく、とても繊細で楽しいのだ。

しかも、自分の意向を介入できるので、インタラクティブ(双方向)の娯楽である。

まるで起きたまま夢を見ている感じで、たんなる妄想ではあるが、リアルな体感
も伴うわけだから、他人の手あかのついたTV番組などとは、比べものにならない。


これを娯楽系の瞑想といい、イメージ能力のある人なら、ずっと楽しんでいられる。

私もイメージ能力が錆ついて、何も浮かばなかった時には、絶対無理だったが、
リラックスできて、ちゃんとイメージできるようになったら、面白くてしょうがない。

やはり瞑想って素晴らしいわ!そう再確認し、さらに、のめりこんでいった。

ところが、瞑想は楽しいことだけではない。当然ながら、闇もあったのだ・・・。





まず体に異変があった。常に頭痛がして、体調が悪くなってしまった。

これは激しい呼吸法をやりすぎたのが原因だが、すんごい苦しんだ。

瞑想をこれからやる人がいたら、呼吸法には注意してほしい。いきなり、
激しい呼吸はしない方がいい。体が硬いまま、強引にやると、体を壊す。

私は、短い呼吸をしまくって体を過酸化状態にし、呼吸が止まるような、
つまり仮死状態になって、そこで綺麗なイメージを見るなんてことなども、
やってしまっていたし、そうとう体に悪かった。何カ月も頭痛に悩まされた。

いろんな本を読んで、その通りやっても、頭痛はひどくなる一方だった。


結局、呼吸法は全部やめてしまい、自然呼吸だけに戻したら治った。

本の通りにやっても、自分に合うかどうかはわからないので、ある特定の
手法を過信してはいけない。自分の感覚こそを、信じるべきだと思った。

また瞑想は一人よがりになりがちなので、浮かんできた想いに、あまり
とらわれてはいけない。いきなり、「私は織田信長の生まれ変わりだ!」
とマゲを結い、ホトトギスを殺しまくったりする可能性もないとはいえない。

客観性を失わないためにも、世間とのふれあい、ナンパが必要である。


何無派(ナンパ)は、外なる世界へと貫通し、瞑想は、内なる世界へと、

広がっていく。ナンパと瞑想は、自由へと駆け抜ける両輪ともいえよう。

だが、自由には必ずリスクが伴う。特に、ナンパより、瞑想の方が怖い。

私は瞑想のおかげで、今まで生きてきて一番苦しいめにあったのだ・・・。


(次回、瞑想の恐ろしさ)

posted by 家元 at 15:57| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月22日

第二次ひきこもり期を脱出する

私は十年ほど前、ほとんど部屋にひきこもって、瞑想ばかりしていた。

幸いにも、ブロードバンドが始まる前で、インターネットもなかったし、
TVや映画にも飽きていたので、ひたすら自己を見つめるだけだった。

すると、今まで知らなかった自分の感情が、ジワジワと浮かびあがって、
こんなこと考えてたんだと気づきが増え、ある時、一気に自分の奥底に
隠れていた強烈な感情が現れた。それは、自分に対する非難だった。

本当にやりたいことを抑えて、抑えて、抑えまくって、悲鳴をあげている、
潜在意識、ストレスで怒り狂っている内側の自分である。私は、ひたすら、
自分に対して、謝りまくった。そしてこの「ごめんなさい」の時期を越えると、
妙にスッキリし、精神が浄化された気がして、私はさらに瞑想にはまった。

そこで、イメージ訓練に励んだり、いろんな呼吸法を試したりしてるうちに、
激しい呼吸法のやりすぎで、体を壊してしまった。常に頭痛が続いてたが、
呼吸法をやめたら、なんとか治った。やはり、激しくやりすぎてはいけない。


そんなこんなで、失敗もありながら、瞑想を続けていくと、最初の変動、
「ごめんなさい」の頃から、また一年後に、それは大きな変化があった。

今度は、内側から、すごい勢いで感謝の気持ちが沸いてきた。いわゆる、
「ありがとう」の時期だった。生まれて初めて、親孝行しようと強く思ったり、
自分は一人ではなく、ありとあらゆる人に助けられてきたと心底わかった。

そんなことは、さんざん言われてきたが、本で読むのと、自分の内側から、
強烈な勢いで噴出してくる感情を、体感するのとは、まったく違うものだ。

私は、ひどく涙もろくなってしまい、部屋にこもって、感動しまくっていた。

そして、これは二年半に及ぶ、第二次ひきこもり期が終わる兆しだった。


ちなみに、ひきこもるキッカケの一つとなった、例の気まぐれな彼女とは、
いまだにメールのやりとりは続いていた。なんていったって、私の唯一の、
他人との深いコミュニケーションで、裏切られながらも、依存していたのだ。

瞑想が進むにつれて、彼女とうまくいくのではないかと、期待するのだが、
何度も、何度も、その期待は裏切られた。おびただしい量のメールをして、
なんとか再会できたのは、二年半で2回こっきりである。しかも、会ってから、
「本当に楽しかった」とかメールが来るのに、結局、何度もドタキャンされた。

1回目に再会できた時は、かなり期待していただけに、相当落ち込んだが、
その一年後、2回目に会った時は、またかー、という感じで落ち着いていた。


というよりも、瞑想が習慣になってたからか、「なんか人が変わったね」と、
彼女の方が驚いて、彼女の方から、「またすぐに会おう」と誘ってきたのだ。
(といっても、彼女とは肉体関係もなく、ただのメル友にすぎなかったが)

それもまた、彼女の気まぐれでドタキャンになったのだが、今回に限っては、
またすぐ会うことになるだろうと確信していた。なぜなら、瞑想しまくっており、
彼女の喜ぶイメージだとか、いろいろと働きかけていて、まだ余裕があった。

それでも、何でこんなに、この彼女には振り回され続けてるんだろう?など、
迷いながらも瞑想を続けていたところ、とんでもないものに気づいてしまった。





ある日、さんざん振り回されてきた彼女について瞑想していた時のことである。

ふと気づくと、その奥の奥に、地下水の鉱脈のように、ある記憶が流れていた。
今まで気づいていなかった、厚い厚い岩盤に埋もれていたかのような潮流だ。

私は、突然そこにぶち当たってしまった。まるで厚い岩盤をぶち破って温泉が
噴き出してくるかのように、地下の奥底から、すごい勢いで映像が流れてきた。

それは、5年間つきあいがあった、『どうでもいい子ちゃん』に関する記憶である。

私は、その『どうでもいい子ちゃん』に対して、一度もプレゼントをあげなかったし、
おごりもせず、何ひとつしてあげなかった。ただ寂しくなった時、当日に電話して、
すぐ会うだけで、恋人同士ともいえない、ただの淡泊な関係にすぎなかったのだ。

しかし、それは間違いだったと、潜在意識の記憶の流れがハッキリと示していた。


私は、その『どうでもいい子ちゃん』に癒されまくっていて、まさに愛の塊のような、
素晴らしい女性だったのに、とりたててルックスよくないしとか、素直になれずに、
まったく向きあおうとしなかった。むしろ、そうやって自分を守っていただけだった。

本当は、オープンに、のびのびと、最高の気持ちでつきあうことも出来たのに・・・。

実は、そうしたかったけど、奥底で女性を恐れていて、出来なかっただけだった。

それに気づいた時、雷に打たれたような衝撃を感じ、恐ろしい程の後悔が襲った。

私は、もがき苦しんだ。まるで大勢殺したことを思い出して苦しむ元兵隊のように、
のたうちまわった。取り返しがつかないことに対しての後悔は、もう救いようがない。

その時の苦しみを、どう表現したらいいかわからない。人生で最大の苦しみである。


私は、もがいた。はてしない地獄の感覚で、そこから逃げ出すことはできなかった。

あたかも、映画「時計じかけのオレンジ」に出てきた、虐殺などの残酷な映像を
ずっと流され、見たくないのに、目を閉じれないシーンのように、目はそらせない。

なぜなら、目を閉じても、その記憶や映像が、走馬灯のように凄いスピードで、
ザーッと流されていくのだ。本当に、『どうでもいい子ちゃん』には悪いことした。

彼女には、何もしてあげないどころか、デートの約束も、何度もドタキャンした。

寂しくなって、たまに電話した時、「また来週、遊ぼう」と言いつつ、結局のところ、
会うことはなかった。気づいたら彼女とは、年に1回会うだけになっていたわけで、
これはまさに、私がメールだけしていて振り回されてきた彼女と同じことをしていた。

要するに、私は『どうでもいい子ちゃん』にしたことと、まったく同じことをされていた。

メールだけの彼女と、『どうでもいい子ちゃん』は、完全に、表裏一体だったのだ。

私は、それに気づいた時、腰を抜かすほどの衝撃を受けた。よく言われるように、
自分のしたことは、自分に返ってくるわけで、すべてはつながっていたのである・・。


さらに、『どうでもいい子ちゃん』は、私がメールばかりして振り回されてきた彼女を
好きだったように、私のことを愛していたと気づいた。好きだったからこそ、そんなに
強く主張せず、受け身的に、また再会できる日を楽しみにしてくれていたのである。

私は、ハッキリと、『どうでもいい子ちゃん』は、全然、どうでもいい子ではなかった!
と気づいた。私を救ってくれた、かけがえのない、まさに最高の天使だとわかった。

しかし、気づいた時は、もう遅い。彼女は、もうじき結婚することになっていたのだ。

彼女とは2年半も、会っていなかったし、すぐさま電話すると、対応は冷たかった。

「もうじき結婚する人がいるから、男性と二人きりでは会えない。」とのことである。

違う!そういうのではない!これまでの感謝の気持ちを述べたいだけと言っても、
彼女は、それは出来ないと言う。特に、夜に会うのは、絶対にダメだと言われた。

まさか彼女から、ここまで断られるとは思ってもいなかったので、ひどく動揺したが、
なんとか説得して、彼女が仕事中のランチタイムに、少しだけなら会うこととなった。





そうして私は、三年ぶりに遠出をし、鈍行列車で四国へと向かった。

『どうでもいい子ちゃん』改め、『どうでもよくない子ちゃん』と再会し、
彼女のランチタイムという短い時間だけ、食堂で、一緒に過ごした。

私はそこで、彼女の手を握り、ただ涙を流した。何も話せなかった。

久しぶりに再会したというのに、二人は、ほとんど黙っていたのだ。


この生涯、女性の前なんぞで、涙を流したのは二回だけである。

まず一回目が20歳の時、ファーストキスの涙であり、二回目が、
この30歳を目前に控えた、なんとも複雑な感情の涙であった。

しかしながら、彼女は、以前と比べて、冷たい態度だったし、
結局、彼女に、こちらの想いを、伝えることは出来なかった。

実は、学びが終わったら、別れとなる関係というのは多い。

私が、今まで間違っていたと気づいた時点で、終了なのだ。

すぐに別れが訪れ、私は初めて、彼女に食事をおごった。


あっさりとサヨナラした後も、仕事場に戻っていく彼女を見送り、

一度も振り返らない彼女の背中を見ながら、立ちつくしていた。

そして、再び鈍行列車で長時間かけて、自分の部屋に戻った。


三年ぶりの遠出を終えた私の精神には、どこか変化があった。

なんだか、ずっとこもっていた自分の部屋が、辛気臭く思えた。

そろそろ、外へと、社会へと、出ていく時がきたのかもしれない。

スリルに満ちた冒険に向かって、旅立ちの時が迫っていたのだ。


(次回が、最終回!)

posted by 家元 at 14:43| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

ナンパの世界へ飛びこむまでの助走

瞑想は、人を解放する。精神をおどろくほど、浄化する。

私は、二年にわたる瞑想によって、自分の内面を見つめ、
さまざまな思考や感情に直面していった。そして最後には、
今まで出会った人への感謝の気持ちで、いっぱいになった。

さらに気づいたのが、意識の上では、軽くみていた女性が、
実は、大きな存在であり、お世話になった恩人だったことで、
それなのに自分はヒドイことをしたという、激しい後悔だった。

もういてもたってもいられず、その女性に会いに四国まで行き、
涙ながらに懺悔したのだが、そこで、一区切りがついたようだ。

二年半にわたる、ひきこもり生活に、ようやく終わりの時がきた。





実は、まだ惰性で、この瞑想三昧の生活を続けようとしたのだが、
ちょうど父が仕事を引退して、いつも家にいるようになったために、
私に対しての非難が強くなった。とにかく、「家を出ていけ!」という。

それもそうで、30になる息子が、家で目をつぶったまま何もしてない。

本当は瞑想していたのだが、それも伝わらず、ただノイローゼになり、
人生終わってるように見られていた。20代の頃は、まだ父の圧力は
弱かったのだが、私が30になった途端、父は厳しく言うようになった。

私が右脳記憶の練習でカードを並べていても、わざとそれを踏んだり、
ジャマするようになり、もう実家にいても意味がないと、私も観念した。

自分としても、やはり30歳になったので、そろそろ自立しようと思い、
アパートを借りるためにバイトを始めようとした。ところが、これがまぁ、
バイトの面接、すべて落ちた。何から何まで落ちた。そこで最終的に、
苦し紛れに受けた電話営業の仕事が、奇跡的に採用され、就職した。


ところが、これが朝から晩まで、電話で人と話して、100万円もする、
自己啓発プログラムを売る業務という、ヘビー極まりないものだった。
(あとから分かったが、ブラック企業のため、誰でも採用されたのだ。)

ひきこもり生活から、いきなりトップレベルのコミュニケーション生活に、
放り込まれたわけだから、もう涙目・・・。本来は、誰でも出来るような、
軽作業のバイトから慣らしていきたかったのに、人生、そうはいかない。

人生というのは、あたかもシナリオが決まっているのかのようだ。ヘタに、
他の楽なバイトが受かっていたら、こんな激しい仕事するわけなかった。

それが、この仕事をやめたら後がない!という逃げ道を断つ結果ともなり、
生まれて初めて、命賭けで挑むことをして、私の人生観は引っくり返った。
面白いように結果が出た。死ぬ覚悟で行動すると、つまらない自我が消え、
奇跡が起こるのだ。つまり、自分が消えると、世界全体が味方してくれる!

思考で作りあげた自信なんかいらない。キーワードは、「今死ぬ!」だ。

(その時の成功談がこちら ⇒ 『プラス思考なんてクソくらえ!』





その電話営業を三か月で辞めてから、次に挑戦したのが、インターネットの
路上キャンペーンだった。ちょうどブロードバンドが始まった頃で、街中に、
たくさんいたのを覚えているだろうか。私も、あれをやった。凄い楽しかった。

最初は、電話営業から、今度は対面なので、緊張して全然ダメだったのだが、
アッという間にコツをつかんだ。なにしろ、自己啓発のプログラムを売る時は、
相手の人生そのものの話を聞かなくちゃいけないし、死ぬ程、大変だったが、
インターネットの無料キャンペーンなんて、同じ台詞、やりとりだけで充分だ。

基本のマニュアルでは、「2カ月無料がどうたらこうたら」という入り方だったが、
私は自分なりの研究を重ね、「インターネット遅くない?」という質問だけをした。
そして「遅いんだよー。」という反応をした人とだけ話し、成績はダントツだった。

頭も全然使わなくていいので、単純に、人と面と向かって話す訓練になったし、
まずは体で慣れることや、相手を選ぶことは、後でナンパにも応用したものだ。


でも、これだけじゃ成長できないと、今度は、電気量販店でバイトをした。それも、
お客さんがあまり来ない、へんぴな場所を選んだ。なぜなら、ゆっくりお客さんと、
世間話をしたかったからである。要するに、面と向かって対面で、普通にやりとり
できるように慣れたかった。しかも、パソコンなんて持ってなかったのに、パソコン
すごい詳しいです!とホラを吹いて、雇われてから、こっそりと必死で勉強もした。

とにかく、この量販店でのバイトは、本当に、コミュニケーションの練習になった。

どうすれば喜ぶか?いつも考えていて、わざと高くてダメな商品を勧めてから、
「そういえば・・、」と、わざとらしく思い出したフリをして、一番お得な商品を見せ、
「これ、いいじゃない!」と、お客さんの顔が輝くのを見て喜んだり、面白かった。

それでも、すごい気疲れしてヘトヘトになるので、バイトは土日しかしなかったが。





こうして私は、まずは電話営業で、声だけのコミュニケーションに慣れ、続いて、
路上キャンペーンで、いつも定型の台詞だけではあるが、対面のやりとりに慣れ、
最後は小さな量販店で、普通にお客さんと、世間話できるようになったのである。

私は、たった一年間で、仕事としてのコミュニケーションに、大いに自信がついた。

これも結局は、瞑想のおかげだ。瞑想したからこそ、全力で行動するということが、
できるようになり、特に、電話営業での成功体験が、すべてをポジティブに変えた。
(それまでは頭が優位で、どんなに頑張ろうとしても、頭が抑止し、できなかった。)


もう大丈夫だ!瞑想さえあれば、すべてうまくいくぞ!

そう確信した私は、次に、女性問題に取りかかった。

つまり、おなじみの、楽しいナンパである。

でも、これがなー・・・、全然ダメだった・・・。


(やっぱり、まだ続く)
posted by 家元 at 15:42| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2009年11月29日

まったく結果が出なかった一年間

長いひきこもり生活の後、私はようやく社会に出た。そして後悔ばかりだった20代の、
失われた10年のリベンジをしようと思った。まず最初は自立するために、仕事面だ。

社会復帰一年目は、徹底して、仕事面でのコミュニケーション、要するに、常識的な、
社交辞令から入るやりとりをマスターしようとした。当初考えていた程、接客というのは、
難しくなかった。たんなる決まった台詞のやりとりである。しかし、私は苦手意識があり、
それでも相当の覚悟と勉強量でのぞんだため、結果的に、何やっても成績優秀だった。

これは私が凄いということではなく、ほとんどの人は何も考えず、適当に働いてるだけで、
中途半端だった。だって、何も考えなくても、ある程度できちゃうのだから、本気になる
理由がない。そんなの疲れるだけじゃん、となってしまう。だから人間は、ナンパだとか、
単純な接客でも、苦手意識がある人ほど、本気にならざるをえないのでブレイクする。


私が内気な人に対して、ナンパを勧めたのも、実は女性が苦手な人ほど、本気になれ、
結果が出せると確信しているからで、それに気づかないのは人生もったいない。ただし、
逃げちゃいけない。逃げたら、ゼロ以下である。中途半端では、普通の人以下になる。

だから女性に苦手意識がある人は、極論すると、手に入るものがゼロか100かだろう。

そして、それを分けるのが、「逃げない」ということで、これは努力うんぬんというよりも、
覚悟、本気度、つまり、「意識」の問題である。どんなに頑張っても、意識が逃げてたら、
それは悲しいほど、何も起こらないかもしれない。どんなノウハウがあろうが、逆効果だ。

私自身も、それは、痛いほど、身にしみている。

実は、このタダナンパ活動を始める前に、

忘れ去りたい、空白の一年があった・・・。





社会復帰一年目に、私は仕事面のコンプレックスをクリアした。かつてバーガー屋で
バイトして、すぐクビになった経験からか、接客は苦手と思い込んでいたが、ちゃんと、
本気で取り組んだら、わけはない、簡単だった。今後、どんな仕事でも出来ると思った。

ならばと、社会復帰二年目は、異性問題に取り組むことにした。やはり仕事の次は、
女性に関して、リベンジをしたかったのだ。ところが、これが、思ったよりも難しかった。

なんとかナンパをしようとして街に出るのだが、ほとんど声をかけられない。すぐに、
本屋に入って、自己啓発本を読んでしまう。これは、自己啓発プログラムの仕事を
してる時に、勉強のために読みだしたのがキッカケで、いつの間にやら、営業の本、
マーケティングの本まで、その手のビジネス書を読む習慣がついてしまっていた・・。


以前は、面白いサブカルチャー系の本しか読まなかったのに、すっかりノウハウ本
の中毒になっていて、これには困った。なんせ、すさまじい時間が無駄になるのだ。
そんな読書よりも、まずは行動なのに、全然ダメ。路上キャンペーンとかやっていて、
実際には出来るハズなのに、たまに調子いい時に、少し声かけるだけしかやらない。

これには、まいった。というか、イライラしてしょうがなかった。私は次第に、不機嫌で、
周囲の人とトラブルを起こすような、ダメな感じになっていった。バイトでもイライラし、
なんとか我慢して、家に帰ってから絶叫したりして、ウサをはらす感じになったのだ。

頼みにしていた瞑想やイメージも、行動しない限り、まったく役に立たなくなった・・・。


本音で生きないで、ごまかし続けていると、もう瞑想もへったくれもない。なんたって、
ナンパしたいし、自分に出来るはずだとも感じているのに、なぜか、なぜか、しない!

ハッキリと分かっているのに行動しない人間は、自己破壊的になる。自分で自分が、
許せなくなるため、他人のアラにも苛立つようになり、怒りを他の対象にも投影する。

もう最悪である。なんせ、そんな感じのまま、一年間も棒にふってしまったのだから・・。





女性問題をクリアするための一年間は、時々声かけるだけで、何の結果も出さずに、
アッという間に過ぎ去ってしまった。一度たりとも、連絡先を聞き出すこともなかった。

ナンパのノウハウ本は全部持っていたし、自己啓発本も読んだし、瞑想もしたのに!

それでも結果は出ず、そもそも声かけ数が少なすぎていたし、常にイライラしていた。

しかし、人生は必ずや、精神が閉鎖的になると、そこから脱出させてくれる。

今回は、多分に、いきすぎた手荒な方法ではあったのだが・・・。

(その時の詳細はこちら ⇒ 『ナンパで一番苦かった思い出』


その末路は、私が酔っ払いにからまれて、ボコボコにされて寝込むという形をとった。

見知らぬ女性に、トイレの場所を教えてあげたら、いきなり、いかつい男があらわれて、
思わずケンカに応じてしまったという話だ。私は負けた。ボロボロの、めった打ちだった。

病院に行くお金もなく、最低の気分で痛い体をさすりながら、ずっと寝込んでいたが、
そん時の悔しさから、絶対ナンパしてやる!とフトンの中で決意して、トラブルなども、
いつ何か起こるかわからないから、ピンピンしてる時に、早くやることやっておこう!と、
時間の大切さも、よくわかった。またこの時に、「恋はデジャブ」という映画とも出会った。

「恋はデジャブ」から、一日一日を大切に生きるというインスピレーションも与えられて、
さらに、同じ主人公のビル・マーレイが出ていたからという理由で、新たな映画も見た。

それが、「ロストイントランスレーション」であり、このブログの一番最初へとつながる。





ダメだった翌年に、私はメルマガによって、自分のナンパ体験を発表しだした。

ナンパは仕事と違って、誰からも強制されない。逃げようと思えば、いくらでも、
逃げれる。しかも人間の思考というのは、ラクな道ばかり選び、自分をだます。
そんな自分の思考に左右されてたら、逃げてばかりで、時間は過ぎ去っていく。

一年間なんて、チョコチョコ声かけただけで、アッという間だった。悔しかった。
これは人の目を意識してやるしかないと思い、私はメルマガを発行したのだ。


誰が読んでいるか分からないが、第三者に報告するという形で、自分自身に、
緊張感を与えた。ひどく自意識過剰なので、最初なんか、メルマガに100人も
登録した人がいると、いったん削除して、読者をゼロにした。そして、あらたに、
読者数が1人になったところで、配信を開始したくらいだった。ほんと臆病者・・。

メルマガ読者が100人ていうのは、100人の前でスピーチしているかのような、
そんなイメージがあってビビっていたわけだが、アホらしい自意識過剰ぶりだ。

いまやナンパのおかげで、そんな卑小なものからは解放された。ちなみに、
このブログは、あなた1人に向かって書いている。つまり読者は1人を想定!


それはともかく、メルマガで自分の体験を発表し出してから、意識が変わり、
ようやくいい結果が出た。やはり義務的にでも、声をかけるようになったのが、
状況を打破したのだろう。当時は、声かけ数こそが全てだと思い込んでいた。

まったく何の結果も生まなかった一年間をなかったことにして、初心に戻り、
声かけ数も1人から始めて、一日で100人近く、果敢に声かけるようになり、
何度か挫折しながらも、ダメほどいいと開き直り、ナンパを続け結果を出した。

ただし、結果が出たといっても、ビギナーズラックだったのだが、その幸運は、
あきらかに「意識」が呼び込んだと断言できる。意識さえクリアにしておけば、
人は逃げない。すると必要な情報や人、結果、すべてを引き寄せるのだろう。


さらに私は、ただメルマガで発表するには飽き足らず、仕事にしてしまおうと、
ナンパの教材を発売することにした。とはいっても、全然達人でもないくせに、
売れるわけないので、徹底して「本気」になることにした。本当に死を覚悟した。

これは電話営業の時に、「今死ぬ」という覚悟をして、逃げ道を断ったことで、
奇跡的な快進撃を起こしたことからきている。再び、あの革命状態に入ろうと、
徹底的に自分を追いつめた。バイトをやめて収入を断ち、震えあがりながらも、
とことん所持金をゼロにしようとした。ナンパ教材が売れなければ餓死である。

そして、ナンパで結果を出さなければ、教材なんて作れない。逃げ道はゼロだ。


正直、これでうまくいかないわけがない。恐れはあったが、だからこそ、うまくいく。

うまくいかなければ、死んでやるよと、ふてぶてしいほどの開き直りが生まれた。

瞑想したって、ナンパはできない。まずは行動だ。すると、すべてが変わっていく。





こうして私は、ようやく本格的に、ナンパの世界に足を踏み入れたのであった。

それからのことは、全く後悔してないし、今もまた、新たな革命のはざまにいる。


(了)
posted by 家元 at 08:51| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする