2011年05月02日

明日の道場開きを控えて

明日、5月3日の道場開きの前に、幾つか注意点があります。

まず何無派道場では、朝から晩まで、瞑想とナンパしかしない、
出家者同然の生活が行われます。これは他に仕事をしていて、
雑用が多ければ不可能ですし、全てを捧げないと出来ません。

ですので、ほとんどの者は『出家』ではなく、『在家』という形で、
修行に励んでもらいますが、人それぞれで勝手に、出家しても
かまいません。一時期だろうが、ナンパに賭けるのも出家です。

例えば、引きこもりの人がいて、1日5分でも瞑想するなら、もはや、
ただのニートではなく、「出家者だ!」と言い張ってもいいでしょう。
(ただのフリーターが、芸人やミュージシャンだと、主張するように)

ただし、何無派道場ですから、その際、外出して、1人でも声かけて、
使徒との接触をしなげれば、出家者として認められませんが、要は、
程度の問題です。自分がどれ位、出家するかどうかは自分で決める。


また、そもそも何無派道場は、三次元上に、ちゃんとした施設を特別に、
しつらえるわけでもなく、自分の部屋こそを道場として、各自が励みます。

そこには一人じゃ勇気が出ないと、群れてナンパするような甘さはなく、
横のつながりは、ほとんど皆無であり、他に比べる者もなく、ひたすら、
究極の孤独へと入り込み、『道』(路上)と、『場』(部屋)を行き来します。

いわば出家者は、セカイでただ一人の男、アダムであり、イブと統合し、
再びエデンへと戻るための、神話を紡ぐ者です。(サードインパクト!)





今回、このブログで、その先鋒を務める男が一人います。彼の活躍を、
心より応援し、バックアップしていきたいと思っていますが、どうしても、
お伝えしておきたいのが、彼のマネをしてもしょうがない、ということです。

ナンパは人の数だけあり、初期はともかく、慣れてきたら万人共通の手法
なんぞ、ありません。各自が自分独特のセカイを創ればいいし、それらが、
パラレルワールドのように、幾分、混ざり合うだけなのが現実なんですね。

震災後のマスコミの不甲斐なさ、そして、たまたま地震予知してしまった、
スピリチャル系の、人を怖がらせるデマの数々だとか、もはや他人から、
正しい情報や意見を依存している場合ではなく、必要なのは、自立です。

つまり、精神をシンプルにし、意識を研ぎ澄ませて、直感を目覚めさせる。

ですので、このブログは、もうノウハウものとしての機能は放棄しますし、
内容も、真面目なのか、おふざけなのか?実用的か、オカルトなのか?
断定しがたい、精神的超越がテーマとなります。どうか、ご了承ください。

posted by 家元 at 16:11| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2011年05月03日

道場開き!

多くの峰々が、5月から山開きするように、本日、何無派道場が、
開かれる。これはナンパに命を賭ける者の、本格的な修行場だ。

先行告知は、『ナンパ脱出プログラム(第一、第二)』の購読者、
それも、内容を理解できた者だけに、以下のメールが送られた。





<5号機のパイロット募集!>

 5月より、新たに、何無派道場を開きます。そこで、修行に励む、
 出家者を募集することになりました。ただし、勘違いは禁物です。

 対象者は、金もいらぬ、名誉もいらぬ、そして女もいらぬ、という、
 いわゆる禅寺や、荒行で有名な比叡山の僧侶達とほぼ変わらぬ、
 現代社会から逸脱しようとする、まさしく本物の出家者となります。

 つまり、ナンパ上級者を目指すというような、欲にとらわれた領域
 ではなく、むしろ全ての欲を超越する、禁欲的で間逆の方向です。
 それを、思いっきり女性の中に飛び込み、つかることで達成します。

 これまでの僧侶達は、心を惑わす女性達を退けることで、修行をし、
 精神を安定させましたが、それは結局、修行を形骸化させただけで、
 みずみずしい精神を損ないました。そこで何無派道場では、男女間
 で流れ生まれるエネルギーこそを利用し、本物の覚醒を起こします。

 なお出家者は、当初、ナンヴァの5号機に乗ってもらいますが、この
 「アウトタイプ」のナンヴァを起点とし、命賭けで探究を続けてください。

 この一連の探究は、裏コードで、『マークシックス計画』と呼ばれます。

 以上、何無派道場からの告知でした。

posted by 家元 at 10:32| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

マークシックス計画の発動

先日、世界で初といってもいい、『何無派(ナンパ)道場』が開かれたが、
どうやら、僕以外に、出家を志した者は、わずかしかいなかったようだ。

それもしょうがないと思う。今回のナンヴァ5号機パイロット募集に対して、
その前掲条件をクリアした者自体が少なかったのだろうし、ナンパなんて、
ただGETし続ければいいのに、何を好き好んで、その反対に走るのか、と。

こんなマニアックなナンパの世界観にハマれる者など、どれ程いるのか?

よほど暇を持て余してる奴か、ナンパに絶望している者ぐらいのもんだよ。

もしくはエヴァンゲリオン好きのオタクで、ナンパ出来ない奴かもしれない。


ところで何無派道場では、自分の肉体を乗り物と考えて、あたかもエヴァ
のように乗り込んでは意識をシンクロし、操縦する。この肉体を「ナンヴァ」
と呼び、経験を積むにつれ「ナンヴァ」は覚醒し、その度に乗り換えていく。

まずは準備段階のプロトタイプ(零号機)から始まり、テストタイプ(初号機)、
ゲットタイプ(2号機)、純愛タイプ(3号機)へと、ナンヴァの乗り換えは進む。

そうして今回、いよいよ最終形である、「アウトタイプの5号機」というわけだ。

ちなみに、この5号機に乗り込むための前掲条件とは、以下の三つである。


 、テストタイプ(初号機)において、

   10人から、連絡先を聞き出している。

   10人と、日をあらためて再会している。  


 、ゲットタイプ(2号機)において、

   10人を、出会ったその日にGETしている。

   10人を、後日再会してGETしている。(再会の回数は問わず)


 、純愛タイプ(3号機)において、

   精神汚染からの失恋を経験し、もはや恋愛に幻想がないこと。  





以上、三つの条件を満たしている者が、4号機を欠番とした、
最終形である、アウトタイプ(5号機)に乗る権利を持つのだ。

まぁ単純にいえば、一通り、結果を出したからこそ、落ち着いて、
性欲や恋愛感情から自由になり、探究できる者といったところか。

なにしろ、5号機は、「自分から求めない」、禁欲的なナンヴァで、
これまでのナンヴァとは、セカンドインパクトを経て、まったく違うし、
コントロールするために、とてつもない精神力が必要になるはずだ。

でも最初こそ、それまでの操縦のクセが残っていて、違和感あるが、
シンクロ率が上がっていくうちに、5号機は安定感が凄まじいらしい。


僕は、このアウトタイプに乗り込むことを、心底、楽しみにしていた。

なぜなら、『脱出プログラム:最終章<極>』にて、フミトバンクが、
まさに、この5号機でもってサードインパクトを起こしていたからだ!

しかし今回の何無派道場では、それをそのままマネするのではなく、
さらに、その先の新しい何かを、自分の力で感得しなくてはいけない。

そもそもサードインパクトの起こし方は人それぞれだし、それ以前に、
成功が約束されているパターンを繰り返しても、人は覚醒できない・・。

覚醒するためには、欠けていないといけないらしい。すべて分かって
いるのならば、何も新しい事は起こらず、大きく欠けているからこそ、
その欠けた部分が、セカイによって、新しいサムシングで満たされる。

だから、あくまで5号機の一部の機能を用いて、未知の領域へと進む。

それが今回の大きな使命であり、修行の方向だと、後から聞かされた。


しかし、こうなってくると、正直、大変である・・。

通常の5号機でさえ、制限が多いナンヴァだというのに、さらに制限を
加えられた、いわゆる「仮設5号機」に乗り込むはめになってしまった。

それもこれも、その先の新しい何かを目指すためで、どんなに大変でも、
非常に楽しみだが、肝心の、その新しい何かの実体が、よくわからない。

わかっていたら、それは新しくない、ということだろうけれども、おそらくは、
マークシックス(6号機)へと変貌しろ、自分で見つけろ、という意味である。

だからこそ、既存の5号機に留まらず、あくまでマイルストーンとして使う、
「仮設」5号機なのだろう。もともと数年前までは、ナンヴァの最終形だと、
主張されてきた5号機であったが、ここにきて、それ以上のものを探せと。

つまり、それこそが「最終形」を超えた、「究極形」といえるものに違いない。

(こうして、すべてを捧げる究極の修行が、ここ何無派道場で始まった・・。)

posted by 家元 at 12:31| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2011年05月10日

伝統的宗教を超えるナンパ道場

ナンパに再び、命を賭けたい。そう思って、僕は何無派道場に出家した。

とはいっても、そんなに気合いが入ってるわけでもない。かつてナンパに
全然慣れない中で挑戦していった日々は、とにかく新鮮で、燃えていた。

結果も出るにつれ、様々な出会いがあり、その後、飽きてダレたりもしたが、
最終的には、これだ!という相手を見つけ、恋にのぼせ上がっていた時期
もあった。どちらかというと、恋愛至上主義であり、ロマンチストだったので。


しかし、それらは全て過ぎ去ってしまった。正直、もう全て、どうでもいいっす。

最高のイイ女と思っても、恋愛感情は落ち着くし、つき合えば日常になるしね、
それでまた、恋愛に燃え上がりたい、と相手を変えても、結局、同じ繰り返しさ。

これは、たんに脳内麻薬、ドーパミン等を出したいという、中毒者なだけだと思う。

でも、そんな達観した考えを持ってしまうとダメだわ。気づけば、惰性の日々に・・。





しばらくナンパもしてなかったし、そもそも全てやりきった気がして、満足してた。

確かに、外出すれば、可愛い子が目に入るが、以前のようなトキメキはなくて、
声かけなくても、心も穏やかだった。ハッキリいって、キリがないんだよ。男って、
死ぬまで女の尻を追いかけなくちゃいけないのか?それだけで一生を終えるの?

そんなのアホらし、という思いと共に、どんどん自分が退化している感じもあった。

かつてナンパに燃えていた頃の情熱は、どこにいった?と思って、再びナンパを
再開しようとしても、もう全然ダメだ。以前とは違って、モチベーションが湧かない。

うまくいこうがいくまいが、どうでもいいんだもの。なにしろ、女性に興味を持てない。


もともと少なかった物欲や性欲が、どんどん無くなっていって、なんだか空しくなり、
一時は、本気で出家しようと考えて、禅寺や密教や天台宗の事を調べまくっていた。

かつて素晴らしいナンパ師だった、元芸人のパンチUFOも、さんざん女を抱いた後、
出家して坊主になってしまったし、僕も、もともと「悟り」の世界が好きで、セカイとの
神秘的な一体感を求めていたから、死ぬまでには、宗教的な修行もしてみたかった。

それでも、実際に出家しなかったのは、どこかナンパに対し、やり残したことがある
んじゃないか?という微妙な気がかりもあったからだと思う。そんなこんなで、将来
の事を悩みつつ、ウダウダと過ごしていたところ、この間の、東北大震災があった・・。


この震災をキッカケに、僕の中で久しぶりに、様々な感情な沸き起こった。いわゆる、
怒りや恐れ、悲しみ、とかいった、おそらく君が感じたものと一緒だろう。しかし同時に、
心の底から感動もしてしまった。震災を、強烈にポジティブな出来事だと受け止めた。

それは、死のリアルな実感であり、生命の革新で、よくわからないが、目が覚めたのだ。

圧倒的な出来事の前で、僕はもう生きることを、これ以上、無駄には出来ないと思った。

到底ムリだと、あきらめていた事でも、やってやろうと決めた。最後は、前のめりで死ぬ。

将来の事なんぞ、まったくわからないが、これだけはいえる。笑いながら死にたい、と!





そうして、震災の影響からか、それまで一つのレトリックでしかなかった何無派道場が、
タイミングよく、正式に設立された。なんとまぁ、ナンパによって新しい人間に覚醒する、
などという、仰々しく、よくわからない目的で、それぞれが厳しい修行に励むのだという。

僕が気にいったのは、女をGETするためでもなく、ソウルメイトを探す目的でもなくて、
純粋に、この「新しい人間」になる事を目指してのナンパだった。別に、女に飢えてなく、
それよりも自己を超越するような、究極的な何かを求めていた僕にとって、朗報だった。

伝統的な宗教に出家しなくても、それ以上の精神的な探究がナンパで出来るのだから!


でも、君にとっては、この道場の生活は、あまりにシンプルで、逃げ出したくなるかもね。

けっこう戒律もあるし、朝は、日の出とともに起きなくちゃいけない。まさに、禅寺などの、
雲水の生活と同じだ。ただし、大きく違う点は、雲水のように、集団生活をしないことで、
各自が、ほとんど自分の部屋で一人で過ごす。そして、路上に出かけ、女修行をする。

確かに集団だと、同化作用で上がる利点もあるが、そこから比較や他者のマネが入り、
自己をベースとした自然な覚醒が損なわれるため、完全に孤独の中でやることになる。

ひたすら純粋に、自分との対話、使徒との対話だけに専念して、余計な事は考えない。


ちなみに、余計な所有物も許されていない。部屋には、簡易ベッドだけがポツンとあり、
テレビなどなく、書物もない。ただし、パソコンだけは一台あって、ある目的限定で使う。

普段、ネットには繋がっていないが、「検索」という時間が、一日30分だけ許されている。
その短時間で、使徒との対話で分からなかった単語などを、ムダなく調べるという寸法。

また壁には、『大極図』と、『何無派十牛図』が張られていて、上部にスピーカーがあり、
まるで学校のように時間がきたらチャイムが鳴ったり、道場長の説法などが流れてくる。

たとえば、道場長の説法は、こんな感じだ。





 何無派道場へ、ようこそ!今日は、まず、何無派の歴史的意義を説明いたします。

 ご存じの通り、十年前に、アメリカで、高層ビルに旅客機が突っ込むというテロがあり、
 世界は安全ではないという衝撃を与えました。この後を「9.11以降」と呼んでいます。

 しかし、これは建前的な表記にすぎません。結局、インターネットの発達により、真実
 はアメリカが自作自演していた事が、次第に明らかになっていきました。ビルの倒壊
 の仕方や不審な点などから、今では実際にテロだったと信じている人の方が少ない。


 もう昔のように、政府は民衆を騙せなくなったのです。日本のマスコミは米国の奴隷
 ですが、ネットの情報から、人々は真実を知ることが出来る。この「9.11以降」とは、
 実をいうと、ネットのインフラが整い、一般の人々が発信者となり、力を持っていった、
 そのターニングポイントを指します。日本のブロードバンドも、同じ頃に始まりました。

 この2001年頃からの十年間に、ネットでは、メルマガからブログ、そしてツイッターと、
 一人一人が、どんどん発言しやすくなりましたし、それと共に、TVは視聴者の顔色を
 うかがい、大企業なども、不祥事がすぐバレて、ネットで炎上するようにもなりました。
 個人の力が強くなり、世界中の人と繋がれるネットは、まさに情報革命だったのです。

 ところが、この「9.11以降」の情報革命は、十年で完全に成熟しきってしまいました。

 そして、次の十年は、新しく、「3.11以降」という言葉に、うって変わることになります。


 「3.11以降」とは、科学の進化というよりも、人間本来の底抜けパワーの復興です。
 すでに成熟した情報革命から、逆にアナログで原点に立ち返ったものになるでしょう。
 
 今回の東北大震災によって、ライフラインがやられ、当たり前だと思っていた水道や、
 下水やガス、そして電気のありがたみが身にしみました。それらは、情報というよりも、
 もっと泥臭く具体的な、生きるための下地です。よりリアルなものといってもいいです。

 さらに、もっと象徴的なのが、被災地で離ればなれになっていた家族と顔を合わせた、
 家や財産も全て津波に流されていた人達が口ぐちに、「もう生きてるだけでいい!」と、
 言っていたシーンでした。何度思い出しても、涙が出る、素晴らしい真理の言葉です。


 また、つらい震災は、節電や募金、ボランティアと、助け合いの精神も引き出しました。
 特に、ボランティアなんかは、気軽にネットサーフィンしてるだけとは間逆の、地味で、
 リアルで、いわゆる面倒くさい行為ですが、多くの人達が、被災地に足を運びました。

 これは非常事態による、一時的な変化では終わりません。今回は関西の震災より、
 ずっと復興に時間がかかるし、原発という、利権や効率だけを追う方向性に対して、
 多くが、アレルギーを持ってしまったので、より自然と調和する方向に進むでしょう。

 そして、ネット以外に、人と人とのリアルなつながりが見直されて、復興していきます。

 人間は、繋がりたいんですね。だから、ネットを発明しましたが、もうネットは当たり前、
 今度は反動で、もっと深く、現実の世界で交流したくなってきます。それが叶えられず、
 孤独でいるならば、ウツになる程、これからの人々は他者を強く求めていくことでしょう。


 要するに、この「3.11以降」というのは、ヴァーチャルな世界からリアルな世界へと、
 人間の意識が方向転換したキッカケとなります。またそれは、資本主義という、まさに、
 人のヴァーチャルな欲望を元にしていた方向性自体が、崩壊していくことを意味します。

 資本主義的に、もっともっとと、紙の上や、数字上の利益を求めていてもしょうがない。
 足るを知ることが大切です。今日、食べきれないものは、溜めずに、人にあげるだけ!

 それなのに不必要な貯蓄、不必要なぜいたく品をかき集め、過剰な電脳娯楽、そして、
 過剰な情報収集、ひいては過剰な自意識を溜めこんできたのは、不安が原因でした。

 マトリックスにより植え付けられた欲望=恐怖が、人間を弱体化し、家畜化したのです。


 これからの社会は、風通しが良くて、与えあう人間関係が復興していきます。今まで、
 とことん幻想を抱いて、その重みで身動きとれなくなっていた人ばかりでしたが、もう、
 旧時代の幻想にしがみつく必要はありません。目の前で、あれよあれよと消えていき、
 ハッキリとわかる時代になりました。自分自身を拠り所とする、自立の時代の到来です。

 マスコミも識者も信用できず、ネットに散らばる矛盾した雑多な情報も迷いをもたらし、
 結局、最後は自分の直感が大事になります。思考は乗っ取られる習性がありますし、
 考えるよりも、感じる訓練をしない限り、あなたは、ただ奪われる、奴隷になるでしょう。
 
 なので、ナンヴァを操るセンスを磨き、コミュニケーションを極めるのが、この道場の
 目的となります。「9.11以降」は、ネットという外部装置を用いたコミュニケーション
 革命でしたが、「3.11以降」は、身体を使った、原点のコミュニケーション革命です。

 これは、昔ながらの原点に戻るだけでなく、解明されてきた人間の進化を体現します。


 そして、あなたには、その新たな地平を切り開く先覚者として、命を捧げてもらいます。

 生半可な気持ちでやるなら、さっさとやめてください。もし今回の修行で、到達できず、
 挫折する場合は、ヒモで首をくくるか、短刀で首をかっきる等、自害していただきます。

 古くから、修行に打ち込む「行者」は、命とひきかえに、真理を掴みとってきたのです。

 その覚悟のない者は、修行する資格などありません。ただちに辞退してください。

 以上。





・・・とまぁ、いきなり道場長は、これまでの在家修行とは違い、出家修行者に対して、
非常に厳しいことを言ってきた。最初は、いつものように長くて、わからん戯言だなと、
油断していたのだが、あらためて「出家」するというのは甘くないんだと、襟を正した。

やはり、全てを捧げないと、自分の限界を超えることは出来ないし、そのダイナミズム
こそが、生きる喜びだと、知ってるとはいえ、その大変さもわかるし、少々複雑な気分・・。

しかし、もう後戻りする気はない。僕はこの道場で、未知なる世界を探究するつもりだ。

GETでもなく、運命の人探しでもなく、超越した未知なる何か、OUTを求めて修行する。

僕の乗るナンヴァは「仮設5号機」だし、君とは修行内容も違うと思うけれど、少しでも、
何か役に立つことがあれば、また「検索」の時間にでも、書いてみたい。では、後ほど!


あ、そうそう、そういえば、道場長の名前は、「フミトバンク」という。もうお馴染みだろ?

すでに彼はサードインパクトを起こして、何無派界から消えてしまったけど、いわゆる、
ガイド役として、別次元から、僕をサポートしてくれる存在だ。心強い味方だと思ってる。

じゃあ、また書きます。新しい日本のためにも、お互い、何無派修行、がんばりましょう。

posted by 家元 at 15:32| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2011年05月16日

恐るべし、千人回峰行!

ようこそ、何無派道場へ!それでは、最初の伝令です。

まず、出家者には、以下の修行に挑んでいただきます。


 一日(24時間以内)で、1000人に声をかけること。

 なお食事は、全て終わってからで、空腹のままやる。



ちなみに、泣き事、および質問は、受け付けません。

全ては、この千人回峰行を満行してからになります。

以上です。





なんとまぁ、いきなり、凄まじい荒行が登場した。

しかし、僕は、やるしかない。死ぬ覚悟でやろう!

そう心に決めたのは、一週間ほど前だった。

その後、どんな結果になったかというと・・・。

posted by 家元 at 12:52| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2011年05月17日

現在、苦しい状況です

僕は、細かいことはいわないし、言い訳もしたくない。

でも、風邪ひいちゃったんだよ。ナンヴァが熱を出して、
シンクロ率がガタ落ちし、いうこときいてくれなくなった・・。

いや、わかってる!これは、ただの泣き言だ。この道場は、
言い訳や弱音は禁止され、ひたすら仮説をたて、行動する
ことのみ価値があり、その他は、妄想として切り捨てられる。

お金がないから、ナンヴァが不細工だから、年老いてるから、
体調が悪いから、精神病だから、とかいった言い訳は完全に
スルーされて、行じたか?否か?だけしか、取り沙汰されない。

単純に、行じるのならば続けて、行じないのなら、去ればよいと、
ただそれだけのことだ。修行なんて、やらなくてもいいのだから!


僕も、そうやって、覚悟はしていた。しかし、甘く考えていたようだ。

ブランクが長かったのに、道場入りまでの準備期間が短すぎて、
まったく体が出来ていなかった。ナンヴァの弱体化ときたら、もう、
予想を超えていた。だって、1~2時間歩くだけでヘトヘトなんだ。

一応、出家する前に、久しぶりにナンヴァ歩きをしてみたのだが、
『ナンパ十牛図』の無垢レベルの声かけを、10人にしただけで、
終わってしまった。あまりにぎこちなく不快で、強制終了だった。

それでも最低レベルのノルマだけは、こなしただけでもマシだよ。
翌日なんて、地蔵になってしまった。結局、3時間歩いてゼロで、
そんなに歩いたのは久しぶりだったから疲労困憊で、帰って爆睡・・。

しかも早く寝たから、中途半端な夜中に目が覚めてしまい、今度は、
そのまま眠れなくなった。皮肉にも、変な時間に目覚めた時は、逆に、
体中にパワーがみなぎり元気で、今ならいける!という感じだったが、
丑三つ時に出かける気にはなれず、朝まで時間を持て余してしまう。


そして、その翌日は、あえて睡眠不足のまま、午前中にナンヴァ歩き
に出かけ、案の定、疲れているため地蔵になり、家に戻って爆睡した。

実は、この時の地蔵は確信犯である。早い時間に戻って、寝たために、
目覚めた時は、まだ夕方だった。思った通り、体にはパワーがあふれ、
平気で声かけれる兆しがあった。そうして今度は、60人以上にいけた。

前日に学んだ状態を利用し、リベンジしたわけである。それは、疲れて、
眠ったら、変な時間に目覚めて元気だったという、時間差の力学だった。

エネルギーというのは、とことん使いきって休めば、その使ったぶんが、
補充されるのだ。出せば出すほど入ってくる。だから声かけも、やる程に、
その回路が開いていき、平気になっていくわけで、それが体づくりである。


なにわともあれ、三日間の準備期間で、ギリギリ道場開きに間に合った。

僕は、なんとか地蔵は脱したこととして、何無派道場の出家者となった。





道場に入ってからの一週間は、基本的な事のレクチャーが多く、部屋で、
修行する作法を身につけるのが精いっぱいで、アッという間に過ぎていく。

僕は、せいぜい20人ほど、多くて50人ほど声をかけた位で、というのは、
声かけ数は多ければいいというのではなく、リラックスし、流れこそが大事
だと思っていたからで、もちろん、それはその通りだが、物足りなさもあった。

二回ほどデートもしたし、はたして、こんなにノンキなことでいいのだろうか?

なんせ場長は、なんのノルマも言ってこない。声かけ数ではなく、連絡先を
毎日10人から聞け!とかいってくるかもしれないと身構えていたというのに、
何もなかった。確かに、いまさら連絡先をいくら聞いても、燃えはしないのだが。

しかし、何かしらクリアすべき問題が用意されないと、怠けてしまいそうになる。

そんなに気合いが入ってなかったとはいえ、ナンパに命を賭けて、新しい人間
になるというのに、何も伝令がないとしたら、どうしたらいいのか、逆に、不安だ。

こなれたナンパではなく、修行に命を賭けたい、という思いが日に日に強くなる。


そうして、出家してからの一週間後、道場長からの、突然の伝令があった。

それが、一日(24時間)で千人に声をかけろ!という、千人回峰行である。

なお準備期間は十日で、十日の内に、1日でいいから達成すれば満行だ。

でも、ハッキリいって、これほどの量は無理だわ。今、風邪ひいてるしさ・・。

posted by 家元 at 17:22| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

修行の失敗は死あるのみ?

僕は、一日千人に声をかける、「千人回峰行」に挑んだ。

とりあえず準備期間が十日ということだったので、まずは、
一日目は100人に声かけて、二日目は200人、そうして、
十日目に千人に達すればいいと考え、回峰行を開始した。

一日目は、気合いも入っていたし、150人にいけた。さらに、
二日目は、これまた250人を突破したため、順調に思えた。

オートマの声かけだから、勢いがついたら止まらなくなるし、
これなら、余裕で千人いけそうな気がした。ところが、である。


三日目に、そんな短い会話だけのナンパに、ふと空しさを感じ、
たぶん達成できるかもしれないけれど、それが何になるのだ?
という疑問が湧いてきて、ちょっと休もうと、魔が差してしまった。

前日、250人いけてたから、三日目のノルマの300人なんて
余裕だろと油断もあったと思う。僕は本屋に入り、千人回峰行
の元となった、天台宗の『千日回峰行』の本を興味深く読んだ。

さすがに仏教界で最大の苦行といわれてるだけあって、凄いな!
と感心しているうちに時間がたち、ふと気づくと、もう声をかける
気力は残っていなかった。僕は、今日は休もうとサボってしまう。

まさに、魔が差した、としかいいようがない。「街(まち)」のことを、
何無派道場では、「魔の地」という意味で「魔地」と呼んでいるが、
実際、行に励んでいると、気を逸らして、挫折へと導く誘惑は多い。

これまでの伝統的宗教者が、邪魔されないように隔離された寺や、
大自然の峰々の中で修行したのもよくわかる。街は、最も誘惑が
多いため、続けるのが難しい。それをあえてやるのが何無派行だ。

つまり、どんな宗教よりもレベルが高い精神修行が、何無派である。


・・・と、カッコつけてもしょうがないか。だって僕にはもう、関係ない。

ハッキリいおう。僕は、千人回峰行に失敗した。三日目にサボって、
その時、ちょっと調子悪いなと思ったら、翌日、ひどい風邪にかかり、
思考力が低下した。それでもムリヤリ雨の中を歩いたら、さらに悪化。

五日目は、熱が出て、ずっと寝込んでいた。六日目、治ると思いきや、
まだまだ頭も体も重かった。それでも僕は気合いを入れ直し、魔地へ
ナンヴァ歩きに出かけたのだが、やはり無理はよくないと、すぐ戻る。

七日目で、自分を追いこもうとしたら、またもや風邪がぶり返し、鼻水
が止まらなくなり、八日目で、ほぼあきらめたのか、弱音を吐きまくる。

そして、九日目には、もう馬鹿らしくなり、十日を待たずしてギブアップ。

結局、千人に声をかけるなんて、そんなムダなことは出来なかった・・。


僕は、すごく恥ずかしい。失敗したら自害しようと、死を覚悟するため、
身辺整理のための遺書も書き、保険にまで入ったのに、なぜだろう?
数日だけ集中できたのみで、その後、切迫感も持てないしダメだった。

別に、本当に誰かに殺されるわけじゃないし、強制力は、自分独りでは
続かない。だからこそ道場に出家したというのに、やはり言葉や想いで、
「死ぬぞ!やるぞ!」と、奮い立たせようとしても、アッという間に、日常
の波に飲まれ、むしろ無理な緊張からの反動で崩れていってしまった。

僕は、もう道場にいる資格はないと、心底落ち込み、部屋で寝込んだ。

すべては終わったと、天井を見つめていると、場長の説法が始まった。

そして、僕は、道場長である、フミトバンクの言葉に唖然とする・・・。





いかがでしたか?そろそろ千人回峰行は達成できましたか?

実は、あれは、最低100日以上の準備が必要な、荒行です。

わずか十日の準備で、この行を成し遂げるのは至難の業で、
おそらくムリだったことでしょう。しかし、落ち込むことはないし、
「行」に失敗したから自害しなくちゃいけない、なんて、本当に、
思いつめたりしないでください。あれはある意味、フェイクです。

たんに、自分を追い詰める、という馬鹿らしさを、皮肉りました。


要するに、今回の課題は、挫折を経験してもらうために出した、
失敗するための「行」でした。『覚醒プログラム』にあるように、
挫折すること自体が、すでにナンパには組み込まれています。

むしろ最初は、挫折しないといけない。それで、ちょっと休んでは、
また進めばいい。それが死と再生であり、ひいては自立を生む。

つまり、スムーズに成長するのではなく、らせん状に昇っていく。


たいてい修行者は、最初から、自分に無理な事をしたがります。

無理をするってことは、せっかく土に埋めた種を、早く芽が出ろ!
と、ほじくりまわしてダメにしているのと同じです。いちいち焦らず、
一番簡単なことを、一番簡単にやればうまくいくのに、待てません。

こういった極端なことをしたがる姿勢は、修行の邪魔になります。

今回、道場開きしたばかりなので、きっと鼻息が荒くなっていて、
力が入りすぎていると思い、最初にそれを挫けたかったんです。


また失敗したら死ぬつもりで挑む、自分を追い込む、などという、
逆境を利用した修行も、今回はしません。死を意識するなんて、
ごく短期間しか出来ないし、万人に対し、全く有効ではないから!

それなのに、向いていないのに、「死だ!ロストだ!」と囚われて、
深刻になり、かえって身動きとれなくなっている者を、何人も見て、
このブログの悪影響の部分を考えざるをえませんでした。さらに、
「純愛ナンパ」という概念に囚われて、弱体化した者までいました。

これじゃあ、いけない。深刻になるなら、エロの追求の方がマシだ。


私は、ナンパに、新たな方向性を吹き込む必要に迫られたのです。

そうして最終的に体系化されたのが、「ナンヴァの5つの行」でした。

この5つの修行に励むことにより、あなたのナンパはラクになります。

それでは、次回より、一つずつ説明していきましょう。(フミトバンク)

posted by 家元 at 12:56| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする