2013年02月17日

『桐島、ナンパやめるってよ』に感動!

やっとDVDになりました。『桐島、ナンパやめるってよ』、この映画は素晴らしい。

ナンパグループのスーパースターである、桐島がナンパを辞めると言いだして、
連絡もつかなくなる。そこから混乱が生まれていく、若きスト師達の群像劇です。

リアルで瑞々しい描写と、抜群の編集センス。詳しい内容は忘れてしまったけど、
もしかしたら桐島が辞めたのは、ナンパじゃなくて、部活だったような気もします。


まぁ、そんなのどっちでもいいんです。とにかく自分も、あれ位、ハイレベルなもの、
作らないとイヤだ!面白くなくちゃダメ!共感できないとダメ!と、心したものです。

そんな感じで、「桐島」を意識して制作していた「ナンパ脱出プログラム」の最終作、
『第三章<究>』と『第四章<極>』の発表の前に、このブログについて、お知らせ
があります。全ての時間を注いでいたために、ほったらかしでしたが、ようやく再開。

なお、私自身がすっかり「精神世界」に飽きたので、路線も変更することにしました。

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2013年02月18日

今年からは、落語の世界を投入します

これまで、このブログは「何無派(ナンパ)道場」と称し、ナンパに励む者を、
できるだけ日本風の価値観とスタイルでもって、長い間、応援してきました。

たかがナンパなのに、神話やエヴァ、古武道に、禅宗や修験道などといった、
どちらかというとストイックな精神修養の要素を取り入れ、表現したものです。
しかし、特に去年は、ナンパの厳しさを強調しすぎて、偏り過ぎてしまいました。

そこで今年は、この「何無派(ナンパ)」に、伝統的な落語の世界も投入して、
表現することにしました。この落語とは、あの「芸能の落語」のことであります。

ただし、以前より、この道場では、「落語」は女を落とすための語学、正確には、
意識レベルを、理性から感情、本能へと落とすための語学と、再定義しており、
ナンパトークを自在に操る者を「落語者」及び「コトヴァ使い」と呼んできました。

他に、自由に自分の肉体を操り、声をかけれる者を、「ナンヴァ使い」と呼んで、
さらに無意識の達人を「スタンド使い」と呼び、トーク自由自在の「コトヴァ使い」
と合わせて、3種の使い手となるように、何無派師は、修行を続ける仕組みです。


そして今年は、特に、トーク主体の「コトヴァ使い」を扱うので、もういっそのこと、
女を口説く意味の「落語」を表現するために、本来の芸能である落語の世界を
用いて表現しようと決めました。日本ならではの伝統芸能なので、ピッタリです。

確かに、落語は部外者から見れば、閉鎖的で古臭くて、全く魅力がないでしょう。
しかし日本風のナンパを確立するためにも、このきわめて日本的な芸の世界を
無視するわけにはいきません。使えるところを勝手に、使わせていただきます。

落語の世界は、ナンパのセカイをあらためて描くのに、非常に適しているのです。
特に一番気に入ってるのは、落語に出てくる人物が、だらしなかったり、馬鹿で、
どうしようもない人ばかりで、人間の弱さや、ずるさなどをも肯定している点です。

「人間の業を肯定する」という落語は、えてして自分はもっと頑張ろうとか、こんな
ダメ男は価値がない、なんて思いがちのナンパ修行において、必ず役に立ちます。

ダメでええじゃないか、無一文でええじゃないか、ブサイクでええじゃないか、意志
が弱くてええじゃないか、声かけれなくてええじゃないか、逃げてええじゃないか、
人間だもの、人間なんてそんなもん。それでも騒いで、休んで、泣いて、笑おう!

そんな天真爛漫で鷹揚なスタンスこそが、今の閉塞しきった時代には必要です。


他人の挙げ足をとったり、強引にアドバイスしてきたりと、息苦しい世の中ですし、
今必要なのは「寛容さ」ですよ。その「寛容さ」は、「ダメの肯定」から育まれます。

誰もかれもが、他人の事に、いちいちうるせえんだよ、という話です。知らんがな。

そんなの放っておいて、自分の欲望だけ追う。気持ちいい事だけ、やっちゃうぞい。

その過程で、みんなバカなんだな、というのも見えてきて、だからいいんだ!となる。

ナンパ自体が、「寛容さ」を育てるための修行ですから、どんどんラクになって、
バカになっていくものです。まさしく、ええじゃないか運動と呼べるものなのです。

そんなわけで、以後、この何無派道場は、落語の道場となります。いざ開演!


(お囃子と共に、緞帳が開く)

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2013年02月20日

女を落とす「落語」のセカイ

めくるめく落語のセカイへようこそ!この何無派道場は、落語の道場である。

ここでいう「落語」とは、伝統芸能ではなく、女を落とすこと、つまり世間でいう、
「ナンパ」の事を意味する。言葉の力でもって、理性から本能へと落とす芸だ。

正味な話、こちらの「落語」は閉鎖的な芸能の落語と比べて、入門する者が、
後をたたない。それだけ魅力のあるセカイだが、厳しい面もあり、挫折も多い。

今回は、この「落語」のセカイに入門してからの、大まかな流れを紹介しよう。

以下、女を落とす落語、いわゆる何無派落語の、四つの段階を手短に示す。





落語界における、四つの階層


●「見習い」

まずは、毎回10人に声かけられるように馴らしていく、見習い期間。

最初は、ごく数人でも構わないので、何とかして10人を目指すこと。

そうして習慣化させながら、女性10人から連絡先を聞けたらクリア。

できなかった者は、落語(ナンパ)は向いていない。とっとと去るべし。


●「前座」

10人から連絡先を聞けて初めて、本格的に落語のセカイに入門する。

前座修行は、『』座というだけあって、とにかく、前へ前へと突き進む。

ハッキリいって、いかに尻ごみしないか、だけで、やるべき事は単純だ。
無数の失敗を繰り返しながら続けていくと、意外な時に、成功してしまう。

その感動と共に、さらに加速すれば、成功自体が確信に変わるだろう。

最終的に、女性10人と統合したら(GETできたら)、前座修行は終了。


●「二つ目」

10人GETした後は、完全に自由になる。すべて自分で考え、修行する。

これまでの前座修行で、自分の適性もわかり、方向性も見えているはず。

本能センター優位の者は、とりあえず、まず100人GETを目指すもよし、
感情センター優位の者は、最高のイイ女を求めて、婚活を目的にしたり、
思考センター優位の者は、新しい手法を創り、ナンパに革命を起こしたり・・。

何をしようが、何を考えようが、構わない。全員、その開花の仕方は違う。

とにかく、自分のセカイを創る。その気が遠くなる程の試行錯誤の過程で、
いったん修行者は死に、生まれ変わる。この死と再生だけが条件となる。

この人生最大の闇を経験する「二つ目」の卒業は、自分でハッキリわかる。

テクニックや結果がどうとかいう問題ではない。自然と、悟りが起こるのだ。


●「真打ち」

前段階の「二つ目」で、死と再生を経験し、復活した者のみが「真打ち」となる。

いわば「前座」の段階が「一つ目」で、「二つ目」の次の、「三つ目」ともいえよう。

まさに、本能センター、感情センター、思考センターの、三つ全てを開いた者・・。

これぞ「真のナンヴァ」で、寄席でいえば、トリ(最後)をとれる、落語家である。


なお「見習い」から「前座修行」の終了までを扱ったのが、『覚醒プログラム』。

続く、「二つ目」から「真打ち」になるまでの過程が、『脱出プログラム』である。

最後の「真打ち」までいける者は少ないが、今年は異常事態が起こるだろう。

予告しよう。今年は日本全土に、ある革命が勃発する。新たなナンパ革命だ。

posted by fmtbank at 13:07| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年02月22日

ナンパなんてやめときなさい

ナンパを始めようとしている人に対しては、「やめときな、大変だから。」

これが正解だろう。以前は「ナンパしようぜ!」と熱心に勧誘していたが、
いつからか、選ばれた者しか出来ないとわかり、あまり勧めなくなった。

絶対にやっちゃいけないのは、ナンパしたくない人に対し強制することで、
むしろ、ナンパに興味がある人に対してさえも、強制的に止めた方がいい。

「あなたには無理だよ、あきらめな。出会い系で頑張れ!」そう言うべきだ。

なぜならナンパをやる者は、どんなに止めようが、自分で勝手にやるから。

そして、この自らの意志で、どうしてもやりたい者だけしか、うまくいかない・・。





日本古来から伝わるナンパ(何無派)は、落語や宗教界とも、共通している。

伝統芸能の落語は、弟子入りという形でしかプロにはなれず、スカウトもない。

落語界に入りたい者は、自分の選んだ師匠に「弟子入り」を頼む。しかし必ず、
「やめときな。」と拒否され、何回か拒否された後、初めて弟子入りを許される。

また禅の寺に入る時、つまり出家する時も、最初は断られ、それでも軒先にて、
ずっと正座して、入寺を許されるのを待つ。これが第一次のテストになっている。

ナンパワールドも同じ。弟子入りとかいって、特定の誰かにつくわけではないが、
ナンパのセカイに入るために、最初は何度も拒否される。それで、くじけた者は、
そこで終わり。ナンパに向かない、という結果を受け入れ、ただちに去るべしだ。


なおテストは、毎回さっさと10人に声かけれるようになること。そして、最終的に、
10人の女性から連絡先を聞き出すこと。これが入門できるかのテストで、ただ、
連絡先を聞くことは目的にしなくていい。10人に声をかけることだけを目標とする。

そうやって、やるべきことをしていれば、自然に10人の連絡先は貯まる。なので、
10人以上の声かけを安定化させるように励みながら、まるでクーポンを貯める
かのように、「半分いったぞ!」「あと3人だ!」などワクワクしながら、待てばいい。

女性達に期待なんてしない。自分のやるべき、10人の声かけだけに専念すること。


ちなみに、この10人というのは、最初は道聞きでもいい。とにかく、何か質問し、
答えてもらう、『Q』の訓練。続いて、相手を褒めたり、好意を伝えるポジ、『P』の
訓練。最後はどこかに誘ったり、連絡先を聞くオシ、『O』の訓練と三段階で進む。

たんなる道聞きだけでは、連絡先は聞き出せない。やはり、ポジとオシができて、
初めて結果が出る。ただし、この「見習い」の段階で、ネガは絶対に禁止である。

失礼な事を言ったり、相手をからかったりするネガは、次の「前座修行」までは、
やってはいけない。10人から連絡先を聞くまでは、それこそ、10年早いだろう。

とにかく、10人声かけれない者はお話にならず、さっさと立ち去りたまえ。以上。

posted by fmtbank at 12:03| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年02月23日

なぜ入門者はネガを使わないほうがいいか?

失礼なことを言ったり、ぶしつけな本音トークで、心を開かせるのを「ネガ」という。

もちろん、これは有効だが、最初からネガを使うと、強烈な罵声や拒否をもらい、
立ち直れなくなる者がいる。なので最初は、できるだけ、ポジとオシしか使わない。

もともと自分が緊張していたり、慣れていないので、ネガティブな気分になりやすく、
そんな「ネガ夫」くんが、ネガを使うと、ただの嫌なやつになる。またネガというのは、
笑いもとれるため、得意になってネガを使い、素直さを忘れて、ネガに逃げてしまう。

素直にポジして誘ってたら、簡単にうまくいってたものを、自分から壊す者も多い・・。


なので、まず最初は、ひねくれずにストレートにいった方が、アッサリうまくいくのだ。

基本的に、相手の話すこと、存在を肯定し、会話を流して、素直に求めてみること。

そして、反応がイマイチだったり、強く断ってくる人は、ただ不快なので、追わない。

こちらを相手にしてくれる女性以外は、全て捨ててしまえばいい。本当に、ラクチン。





そうして、10人から連絡先を聞けたら、試用期間である、『見習い』は卒業である。

これでナンパワールドの正門は開く。なお、毎回10人に声かけろ!という厳しさは、
実は、次の『前座修行』に対してのルールであり、『見習い』期間は、そんな無理は
しないで、少しずつ増やしていけばいい。自分に甘くても結構。やる人は、やるから。

重ねていうが、ナンパ修行は人から強制されるものではない。どんなに制止しても、
自らやろう、という者だけがやればいい。ほっといても、最初の『見習い』の段階にて、
過半数は脱落する。感触的には、2割がパスし、時間をかければ、4割はいくだろう。

しかし最初に脱落しておくのもいいものだ。次の『前座修行』に入ったら、めちゃくちゃ、
もう恐ろしいほどに、現実に振り回され、落ち込まされて、戻れないほどに破壊される。


次は、この『何無派落語』における動乱の時期、『前座修行』について、述べてみる。

芸能の落語界では、前座は人間扱いされない。まさにナンパのセカイも同じだった・・。

posted by fmtbank at 06:49| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年02月24日

自分勝手になり、嫌われまくる!(前座修行)

芸能の落語界において、「見習い」の次の「前座」は、厳しい修行期間である。

まず寄席に入っても、師匠や先輩の世話ばかりで忙しく、自分の時間がない。

着物のたたみ方や、太鼓などのお囃子、ネタ帳の記入など、覚える事が多く、
なんといっても、周囲から、人間扱いされない。まるで下僕のように働かされる。

噺家たちは、この厳しい「前座修行」の洗礼を受けて、初めて一人前となるのだ。


そして、この洗礼はナンパ修行、いわゆる『何無派落語』のセカイでも同じである。

基本的な作法を体で覚えないといけないし、女性(使徒)に、思いきり振り回される。

ハッキリいおう。『前座』は人間じゃない。人間扱いされることを期待してはいけない。

しかし、それが最大の強みになる。何も持たざる者は、結果、全てを得ることになる。





ナンパワールドに入門してきた者は、最初、『見習い』という身分から始める。これは、
道聞きでも何でもいいので、声かけに慣れ、少しずつ声かけ数を伸ばすだけだった。

また、質問(Q)したり、ほめたり好意を伝えて(ポジ)、誘う(オシ)だけしてればいい。

この作業というのは、相手の存在を全肯定して、会話を流すだけの、世間でいうなら、
「いい人」というアーキタイプである。とにかく、感じがよくて、わかりやすいアプローチ。
いわゆる、誰からも嫌われないような、親しみやすい礼儀を持った人間で、例えるなら、
近所の人と世間話したり、販売や営業といった、接客の仕事を、そのまま出来る感じだ。

この基本的なコミュニケーションが出来ないのに、なれなれしすぎたり、ネガを多用し、
いかにもなナンパ師の声かけをしようとするのは言語道断。伝統芸能の世界同様に、
最初は、ちゃんと挨拶できるのか?普通に会話できるのか?ぐらいしか見られないし、
たとえ、この『見習い』の段階で挫折しても、その後、販売や営業の仕事にも役立つ。

ゆえに、『見習い』は、単純で肯定的な声かけと、「会話流し」を繰り返し、身につける。

そうして、10人から連絡先を聞けたら『見習い』は終了。いよいよ『前座修行』に入る。


まず『前座』に入ったら、心しておかなければならないことは、もはや後戻りできない!
ということ。『見習い』は、たんなる試用期間であり、逃げ道のある、優しい段階だった。

しかし、『前座』になったからには、その名の通り、『前』へ、『前』へと、徹底して進み、
絶対に、後ろには下がらない。『前座』の世界に「後退」という概念はない。ヤケクソ
のように、傍からは見えるかもしれない。当たって砕けろの極みであり、ヴァカ者だ。

もう『見習い』の時のような「いい人」は卒業。相手が無視していようが、ムッとしても、
話し続けて粘ったり、失礼な事を言ってみたり、ぶしつけな質問をしたり、本音トーク
を堂々と言ってしまう「悪い人」になる。『前座』は「ネガ」も使うし、自分勝手を目指す。

『前座』は、第一次反抗期。相手の迷惑なんぞ考えない。まさに自分が世界の中心。
とりあえず、声をかけまくるし、簡単に誘うし、下ネタも言うし、絶対に相手を求めるし、
とことん押す。押して、押して、押しまくる。細かいテクニックなんて知ったことか!と。

とにかく、なりふり構わない、がむしゃら!そんな自我を確立するための、いうならば、
ナンパワールドにおいて、最も躍動的な、男と女のバトルの最前線だといってもいい。

何無派十牛図』でいう、四番目の『世話人』の段階。牛を強引に引いている図である。


この自分勝手になる、という『前座修行』こそが、ナンパの醍醐味だ。『見習い』での、
単純で肯定的な姿勢なんぞは、他の分野、営業・販売でも身につけることができる。

ところが、自分の欲望を出して、肉体的に合体しようと、挑発的な態度をとる会話は、
世間的な仕事の世界では、完全にNGで、社会不適応者として、除外されるレベル。

これをやるからには、お行儀のいい子には無理だ。親や社会から、お行儀よくして、
空気を読んでればいい、お前は自分の欲望を出すな、ありのままの自分でいるな、
そう無意識的にも躾けられてきた者は、根深く、そのクセがついており、大変難しい。

だからこそ、何も考えずに、前へ、前へ、と行くしかない。考える間を与えない。まず、
声かけ数も増やし、連絡先が聞けたら、すぐに連絡し、返信なくとも、次の日に連絡し、
多くの連絡先を同時に廻し、できるだけヒマな隙間を与えないよう、作業をつめまくる。

連絡のタイミングとか、テクニックとか、考えるよりも、『前座』はスピードの方が大事。


ハッキリいって、初めての事ばかりで怖くて仕方ない。怖いから、いったん後退すると、
アッという間に、全てが崩れてしまう・・。だから、目をつぶってでも、前に行くしかない。

徹底して、前へ、前へ。そして、どれだけ失敗できるかが勝負。とことんダメさの解放。

カッコよくスマートにやりたいところだが、そんなの逃げ。どんなに役立ちそうな情報、
カッコいい方法を他者が説いてこようが、彼らも結局、最初は「がむしゃら」だっただけ。

いかなるノウハウも、『前座修行』をがむしゃらに駆け抜けてからの、後付けでしかない。





この熱くたぎる、『前座修行』は、女性10人と統合した時点で終了するが、GETする、
なんて意識しなくていい。それよりも、どれだけ、失敗できるかだけに、専念すべきだ。

実は、成功する時は勝手に成功するため、修行者の実力ではない。修行者の実力は、
どれだけ前に出て失敗できるかだけであり、成功なんてどうでもいい。もう相手まかせ、
セカイまかせである。ただし、失敗には二種類ある。前に出ての失敗と、後退の失敗・・。

けっして、後退してはいけない。前に出て、前に出過ぎて、思いっきり、打たれるべし!

中途半端な失敗など、ただの停滞であり、停滞を打破するには、プラス思考ではなく、
ただ前に出過ぎて、不様に失敗すればいい。すると必ず(100%)、後に補完される。

セカイは何もない空間を嫌い、常に満たそうとするのだ。これが「引き寄せ」の法則か。


『前座修行』は、不条理に耐える時期といってもいい。期待していると、ことごとく失敗し、
期待していないところで、突如、うまくいったりする。まったく予想がつかない未知の道。

矛盾に満ちた、不条理の世界。ここで徹底して、相手に嫌われようとする。これまでは、
相手に好かれようとして生きてきたし、入門段階の『見習い』でも、好感を持たれるよう、
訓練してきた。しかし、『前座』では、人生初の、嫌われるために話して、振舞ってみる。

すると不思議なことが起こる。「こんなこと言ったら、絶対に嫌われる!」と思うことが、
簡単に受け入れられたり、「いきなり体求めたら最低だよな。」と最低に求めてみると、
冷めていた相手が、急に乗っかってきたりと、腰を抜かす程の事態になったりもする。

しかし、その何倍も、あなたは拒否され、叱られ、ビンタされ、着信拒否されるだろう。

それでも後退などせず、前に前に出ていれば、そこには、強烈な精神の法悦がある。


こんなに自由でいいものか!と爆笑するあなたの傍には、10人の使徒が寄り添う・・。

勝手に成功してしまい、長かった『前座修行』が終わりを告げる。その時、知るだろう。

好かれようとする者は嫌われる。嫌われてもいいと思う者は好かれる、という真理を!

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2013年02月26日

ナンパを古典と新作の二種類に分けます

芸能の落語で、古典落語と新作落語があるように、ナンパも分かれてます。

古典ナンパと、新作ナンパの二つです。古典ナンパというのは、昔からある、
好色ですけべえな、すぐGETしたい男が女を求めるナンパ。ただの遊び人
からドスケベなむさい男まで、GETできたら嬉しい、という単純なナンパです。

これは世間がイメージする「ナンパ」そのもので、まさに古典的といえましょう。


一方、新作ナンパは、古典ナンパでは満足できない男達が自分流に作り出す、
新しいナンパです。運命の一人を見つけるための純愛ナンパや、他に芸術的な
トークを構築していく創造的なナンパや、逆ナンパなど、新しい手法の開拓です。

これらの新しい波は「ニュータイプ」と呼ばれる、本来、ナンパには向いていない、
オタクや引きこもり、または草食系、スピリチャル系の男達によって作られました。

この新作ナンパは賛否両論になりやすいのですが、別物と捉えてみてください。


古典と新作、どっちが上というのはありません。古典落語を、いろんな落語家が
演じても、違う噺になるように、普通の古典ナンパも、演じる人によって変わるし、
落語の世界でも古典落語が残ってきたように、古典ナンパは安定した人気がある。

むしろ新作ナンパは、古典ナンパが飽きた人や、むしろ古典ナンパで落ちこぼれに
なった人が、その閉塞感から新たに創造するケースもあり、多種多様です。たんに、
結婚相手を見つけるためのナンパにしても、そのためには軽い相手をGETしないで、
排除しなくてはいけません。つまり、性の本能だけでやらず、必ず制限がかかります。

いつも同じ方法でGETしてたのを全部捨てて、ゼロから新たな方法を模索したりなど、
思考センターを介入することで、新作ナンパは創造されるものです。なので古典より、
複雑になったり、失敗する確率も多く、あまり手を出したがらない。だからこそ面白い!


しかし、最初から新作に挑戦すると、ただの自己満足で終わったり、変わった手法に
溺れてしまい、柔軟性に欠けてしまいがちです。なので、まずは基礎である『見習い』
『前座修行』において、10人連絡先、10人GET、という最低限のノルマをこなします。

この古典ナンパを先に身につけておくと、あとは何をしようが、腹が据わって実験でき、
自分なりの手法を作り出すことが容易になり、挫折も少ないでしょう。芸能の落語界も、
新作メインでやっていくにしろ、最初は古典落語を憶えさせられるもので、一緒ですね。





この「何無派道場」でも、古典ナンパの基礎をマスターした者を『二つ目』と呼んでます。

『二つ目』は、『見習い』での10人連絡先、『前座』での10人GETを終え、自由になり、
今度は100人斬りを目指そうと、古典を極めるもよし、真面目に婚活したり、自分流を
確立してアートに走ったりなど、新作に挑戦するもよしで、それぞれの道を歩んでいく。

もはや誰の指図も受けないし、他人は一切関係ないので、何をしたっていいんですね。


ちなみに、『覚醒プログラム』が古典ナンパで、『脱出プログラム』が新作ナンパです。

やはり、古典はわかりやすいですが、新作ナンパの凄さは、なかなか伝わりません。

いよいよ、近日発表の『第三章』で、その全てを伝えきるつもりです。ナンパに革命を
起こしたいのなら、こうやるのさ!という強烈な啓示となるでしょう。どうぞお楽しみに!

posted by fmtbank at 23:24| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする