2013年04月01日

今年度は、京都からお送りします。

新年度が始まりました。本日より、拠点を京都に移します。

以前より、最も好きな街で、機会をうかがっておりましたが、
2013年の今こそ、京都を舞台にすべき!と決心したのです。

京都は、出雲と伊勢のちょうど中間に位置し、最後の革命、
「ええじゃないか運動」の指揮をとるのに、非常に適している。

比叡山も近いし、寺院も結集して、『何無派(ナンパ)道場』の、
本部を置く、最高の場所です。モチベーションが上がりますわ。

それに私自身、そもそも大阪にて最初のブレイクをしたので、
最後も円を描くように、また関西に戻ってこようと思いました。

でも同じでは面白くないので、今度は大阪ではなく、京都です。





そういうわけで、今年は京都から全国に向けて、発信します。

「ええじゃないか運動」は、震災後の東北地方や、北海道にも、
広めたいので、江戸の方にも、まだ拠点は残しておきますが、
このまま京都が気に入ったら、完全に骨をうずめるつもりです。

ただし、このブログや音声メルマガは、あと一年で完全終了で、
2014年3月31日を持ちまして、その全てが消えます。本気です。

10年目に消えるからこそ、出し惜しみなく、力を発揮できます。

私がナンパを脱出するまでを描きながら、あなたも道づれで、
解脱に巻き込み、日本全土で、あの奇跡を起こすつもりです。

平成最後の「ええじゃないか運動」を、どうぞご期待ください。


(鼻息荒く、新天地にて記す)

posted by 家元 at 10:01| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月02日

『ええじゃないか』のイメージは『モテキ』のギャルみこし

                     ええじゃないか~!

好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!
好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!好きよ!抱いて!

(マウスのスクロール機能で、上下に小刻みに動かしながら、みこしに乗っている気分。)

posted by 家元 at 11:57| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月03日

女は偉大なる「乗り物」だ。乗りこなせ!

この世で最も素晴らしい乗り物、それは「ギャルみこし」である。

毎日でも乗りたい。ヒマさえあれば、乗ってる自分を想像してる。

「好きよ!抱いて!」のかけ声と共に、女達の人力で動いていく。

その上に乗っている自分も、威勢よくフエを吹き、両手で音頭を
とりながら、男っぷりを発揮している。それにしても揺れが激しい。

今にも振り落とされそうになるが、それが女達のパワーを表わし、
そんなに悪くはない。いや、むしろ「ええじゃないか!」といいたい。


私は強い女が好きだ。だって、女はめっちゃくちゃ、強いのだから。

弱いフリしたって、もうバレてる。いさぎよく、強さを見せなさいって。

そうして昨今、女は強くなった。弱いフリをやめて、自然に戻った。

日本は、もともと女主導の国だった。男はそれに乗っかるだけよ。


(卑弥呼さま~!)





車の免許を持っていない私は、女が運転する、車の助手席を好む。

しかし、もっと好きなのは、女のこぐ自転車の後ろに乗ることであり、
女の自前の脚力によって、グングンと動くその様に、惚れ惚れする。

あるガタイのいいサーファーの女は、登り坂であろうが、立ちこぎで、
全身を左右に振り回しながらこぐので驚いて、瞬間、惚れてしまった。

疲れないか聞くと、「余裕ですわ。」と強気の返答。惚れるではないか。

彼女とはドンケツゲームを挑み、思いっきりスッ飛ばされたこともある。


また場面は変わって、池袋サンシャインの1Fフロアにて、違う女の話。

彼女もパワーがあった。「お客さん、どちらまで?」と、そこに置いてある、
無料貸し出しのベビーカーを手にして、私を乗るように、促すのである・・。

私は一瞬恥ずかしく思い、躊躇したが、ここで乗らねば、男がすたる。

さっそうと、ベビーカーに乗りこみ、行き先を告げる。


「人生街道、ひたすら真っすぐ!」


そこから彼女が口でいうエンジン音「ブーンブンブン、ブーンブンブン、」
とともに、いったんエンジンを吹かして、溜めを作ってから、カーが発進。

じゅうぶん満足できる初速であったが、みるみる加速し、フルスロットル!

彼女のベビーカーを押す、そのパワーときたら、息をのむ暴走機関であり、
しかも私が架空のハンドルを左右にまわすと、車線まで変更する、操作性。

地をすべるようにして走る、そののびやかなスピード感に、私はやられた。


こりゃたまらない。ギャルみこしに乗るような、女の動力を感じて、最高だ。

ショッピングセンターを歩く人々の冷たい視線など、もう一切、どうでもよく、

私は絶叫するのだった。


「ええじゃないか~!」


(F1のドップラー効果で)

posted by 家元 at 06:46| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月07日

モテ期を到来させる、3つの映画

最近、映画「モテキ」のギャルみこしをプッシュしていたので、

そこから派生した、モテ期のための3つの映画を紹介します。


まず1つめは、「苦役列車」。

これは「モテキ」と同じ、森山くんが主役ですが、内容の方は、
「モテキ」のポップさと間逆で、陰なるリアリズムの汚い映画・・。

まともにコミュニケーションとれない男の大変さが描かれてて、
印象的なシーンは、森山くんの、ヒロイン(元AKBの前田さん)
との距離感がメチャクチャで、空気を全然読めないところです。


続いて2つめは、「指輪をはめたい」。

こちらは山田孝之さん主演で、実際に、女3人と同時につきあう、
モテる男の話。ちょうど「モテキ」の公開と重なり、比較されてた。

賛否両論でしたが、今まで女性とつきあってて大変だと思ったり、
失恋して、忘れられない人がいる経験があるなら、最高の映画!
(ところが、そんな経験のない人には、まったく心に響かないかも)


最後の3つめは、「婚前特急」。

この映画は、「指輪をはめたい」の逆で、今度は女(吉高由里子)
が男5人と同時につきあってて、誰か1人を選ぶというストーリー。

もちろん一番どうしようもない男が、最後には選ばれるんですが、
彼がタダナンパしてる姿や、気持ちに素直すぎるのが素晴らしい。
常識など忘れ、素朴に生きればいいんだなと、勇気が湧いてくる。


以上、久しぶりの映画紹介でした。

なお話の流れで一応、紹介しましたが、本当は観る必要ありません。

モテ期を到来させるには、観る時間のかわりに、外に出るべきですぅ。


(春まっさかり!)

posted by 家元 at 14:33| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月08日

家元は引きこもりである。蔑視せよ!

なぜだろう?勘違いをしている者も多いので、ここで正しておこう。

日本古来の何無派(ナンパ)を継承している「家元」である、私は、
通称フミトバンクは、別にナンパ師ではない、ただの引きこもりだ。

最初は、元ひきこもりがナンパ師になった!という導入だったが、
すさまじく行動的に外へ外へ向かい、遠征ばっかしてたのなんぞ、
最初の数年だけであり、あとはまた、かなり内向的に戻っていった。


要するに、躁鬱病の人の反動のように、ずっと閉じこもってたから、
その反動で超外向的になっただけで、しばらくすると、本来の自分、
シャイで内気な自分に落ちついた。ただもちろん、以前とは違ってる。

完全に引きこもりに戻ったわけではなく、ちゃんと外出できるし、全然、
声もかけられる。しかし、それは運動不足にならないようにジムに通う、
その程度のことで、あくまでも、引きこもりのインドアの方がメインである。

もともとの性格がそうだし、そんな内向的な日々に、ナンパが寄り添う形。


もうすぐ開始の『第三章<究>』も、声かける場所がすごく狭いし、ほぼ、
いつも同じところに行って活動していた。気持ち的には、その場にこもり、
引きこもっていたという感覚だった。たとえ何百人に声をかけていようと!

なので、だいぶ前から、元ひきこもりがナンパ師になったのではなくて、
ひきこもりがナンパしている。精神の健康のため、運動のためにしてる。

そんな感覚になっていた。あくまでも私の自己イメージは、ひきこもりで、
正直いって、その気になれば一年間は、誰とも話さなくても平気だと思う。


でも、少しでも他人と話したほうが、より面白いから、そうしてる。さらに、
どうせ話すなら異性で、さらに可愛ければいいなという、ささやかなもの。

またさらに、どうせ話すんだったら、飽きないように、いろんな技術を試し、
創造性も発揮して、長いスパンで楽しめるように工夫する。その過程で、
セカイ観でさえも、自分の気持ちのいい思想で構築し、ひたすら独り遊び。

つまり、ナンパ師がナンパの腕を磨いてる、そんなつもりは毛頭なく、ただ、
ひきこもりが毎回、気合い入れて外出し、独り遊びしながら、そこに女性を
巻き込んであげてるという、謙虚かつ、自分勝手にも思えるスタンスだった。





しかし、こんなことを声高に述べるのは遠慮していた。なぜなら、外出して、
しかも女性と触れ合ってる奴のどこが「引きこもり」なんだよ!と言われる
のが当たり前だから。部屋から一歩も出ない人に、違う!と怒られちゃう・・。

ハードな引きこもりの人は、ネットばかりやっていて怒りっぽいイメージで、
それにやっぱり外出したくても、病気やウツで動けない人は可愛そうだなと、
彼らに遠慮していたため、いつからか、ひきこもりに関しては書かなくなった。

しかし、時代は変わった。ひきこもりなんか特別じゃない。もう、そういう時期。


ブロードバンドのネットが行き渡り、アマゾンや各種のデリバリーを利用して、
家から一歩も出なくても生活できる。動画だって、レンタルビデオも行かずに、
ありとあらゆる娯楽を楽しめる。これじゃあ生活費さえあれば、部屋は出ない。

つまり、健康的な若者でさえ、ひきこもって当然の時代。特に、内向的な人や、
面倒くさがりの人は、ひきこもりこそがメインになる。ただ、完全にひきこもる、
というわけではなく、外出の方が遥かに少ない傾向にあり、ハードな人と違う。

だから、「ひきこもり」という言葉の変わりに、外出が少ないインドア派の人を、
これからは「家元」と呼びたい。こちらは、「ひきこもり」よりも軽い意味で使う。


解説すると、「家元(いえもと)」というのは、「家」が「元(もと)」という意味で、
あくまでも家がメインのインドア派。そんな家元が、家を出てナンパすることを、
「出家(しゅっけ)」と呼ぶ。道を歩き、街に立つその姿は、まさに「出家者」だ。

あたかも僧侶が道を歩くような聖なる行為であり、ナンパするものは、覚悟が
違う。それに引きこもっている時も「家元」と呼ぶだけで、なんか偉くなった気
もするし最高だ。ただ「家元」は独りが多いため、空気を読まない傾向がある。

だからネット上で、掲示板などに偉そうに書いたり、コメント欄で何かと議論を
吹っかけたりする人がいたなら、彼は「家元」かもしれない。部屋に閉じこもり、
欲求不満で性格悪くなっちゃってるかもしれないが、「家元」だから仕方ない。


「家元」は自己正当化の権化。独りでいることが多いと、変な思想を育みやすい。

どうか許してやってほしい。また、私自身が「家元」を名乗り始めたのも、人間、
少しくらい馬鹿にされた方がいいと思うからであり、また、落語界で唯一、この
家元制度をとっていた立川流が、談志師匠の死と共に、制度を廃止したから。

こうなったら、後は、この何無派落語が引き継ごうと思う。ワシは、家元じゃい!

posted by 家元 at 12:03| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月09日

ひきこもりは人類の夢だった。

元ひきこもりがナンパできるようになる。凄腕のナンパ師になる!

それは、かつて珍しかったが、今では当たり前になってしまった。

私も最初、それをプロフィールにしていたが、今では恥ずかしい。

いかにも陳腐で、ありふれていて、どこか古くさい価値観だった・・。


しかし、ここで強調したいのは、ひきこもりという、ダメな状態から、
自由な「ナンパ師」になる人が増えた、とかいう意味でもないこと。

そもそも、ひきこもりという状態が当たり前になり、ダメでもなくて、
とりたてて社会問題ではなくなり、話題にものぼらなくなったのだ。

もちろん、病気などで苦しんでいる人は今でも増えている。しかし、
もっと増えたのは、そんなヘビーな状態にいるのではなく、たんに、
面倒くさいから外出しない、充分楽しいからね、という人達である。


ここで、あえて分けるなら、外出したくでも出来ない、ヘビーな人を、
「積極的ひきこもり」。そして外出しようと思えばできるけど、そんな
必要もないし、面倒くさいからしない人を「消極的ひきこもり」とする。

そして、この「消極的ひきこもり」は、もうハンパなく、増えたことだろう。

なぜなら、これは人類の夢だったから。便利さを追求した結果なのだ。





実は、ひきこもりという、部屋から出なくても、ほとんど済んでしまう、
インドアなライフスタイルは人類の夢だった。かつて野性の獣を追って、
地をはいずり廻っていた時代から、人類はラクを求めてきたのである。

いちいち狩猟してるのが面倒になり、農業を始めて、共同体を作って、
皆で協力しあい、さらに工業を始め、大勢で従事し、会社で集団分業
してきたのだが、そこでの人間関係は、ストレスを生むものでもあった。

そこで、さらに人類は、会社にも行きたくない、集団の中にいるのが嫌!
一人で暮らせたら最高じゃないか!そんな生活を夢みて、最終的には、
インターネットという情報網を世界中に張り巡らし、部屋にひきこもった。

それは、指を動かすだけで、ありとあらゆる娯楽が享受でき、買い物が
できる、仕事もできる、すさまじい便利さである。人類の夢が叶ったのだ。

すべては人類の集団意識による結果であり、我々は、それを享受した。


と同時に、人間も進化してきている。欲がない人達が増えたのである。

最近の若者は、家も車もいらない、酒も飲まないという、消費を最小限
におさえた生活をする者が増えたが、これも当然。高度成長時代から、
低成長時代にシフトするために、見事、心身を適応させただけのこと。

それを、もっと頑張れよ!とか説教されても、余計なお世話でしかない。

別に欲しいものなんてないし、プライベートを大事にし、残業などしない、
そもそも週に5日も6日も働きたくないので、バイトで充分。最低レベル
であろうが結構。自分の時間の方が大事だとばかりに、部屋にこもる・・。

これは今の時代、当たり前の生活であり、人類の最先端としての形だ。

しかし、古い価値観に染まっている親にとってみれば、これは大問題で、
なんとかしなくちゃいけないと思うかもしれない。そして激しくぶつかって、
さらに引きこもりを助長するだろう。そんなに嫌なら、援助してはいけない。

親が仕送りをやめたり、勝手に置いて引越したりすれば、ひきこもりなど、
働かざるをえなくなり外に出ていく。この決断は、早ければ早いほどいい。


ただし、親に食わせてもらう、親に養ってもらうことは、悪くもなんともない。

お金は持ってる人が払えばいいし、一番よくないのは、そんな自分に対し、
自己嫌悪を持つことで、その自己嫌悪はやがて親への憎しみに転化して、
悲劇を生んだりもする。もし親に文句いうならば、絶対に家を出るべきだ。
(別に文句いわないで感謝してるなら、一生、親に食わせてもらってもOK)

まぁ、こういった家庭の問題は、それぞれの事情があるので、これまでにし、
とにかく、親元にいたり、一人暮らしで最低限のバイトをしたり、また、作家や、
フリーのSEだとか、自分独りで部屋にこもって仕事している人達というのが、
今の時代、本当に増えてきた。そして、行き詰っている人も多いに違いない。

そこで私は、こういう「ひきこもり」系の人達に対して、あるライフスタイルを
提唱したい。それは、こんなブログを書いてることからわかるように、ナンパ
を取り入れたインドアライフのすすめだが、別に、強制するつもりはないし、
もはや助けようという気持ちも薄い。たんに自分の経験と発見を語るだけ!





ひきこもり生活に、少しナンパを取り入れるだけで、あまりに健康的となり、
あまりに腹の底から笑える生活へと変貌することを、私は知っているのだ。

他の人も知ってるかもしれないが、もはや他者はどうでもいい。私自身が、
日本で一番その面白さとパワーの凄みを知っていると、自負しているだけ。

そして、知っていることを、最後に伝えきらないと、気がすまないだけの話で、
あくまでこちらの問題。そして、そもそも全ては自分の問題でしかないだろう。

(普通に働いてる方、すみません。しばらくは、ひきこもりナンパの話です。)

posted by 家元 at 15:56| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月10日

日本最小の流派、『家系(いえけい)ナンパ』が登場!

ここ最近、私のやるべきこととして、ひきこもりの人達を肯定しています。

ひきこもりはマイナス面ばかりスポットがあてられていますが、もちろん、
プラスの面から見れば、こんなに時間が自由で、ぜいたくな身分はなく、
ただ、お金の自由がないだけで、現代の貴族といってもいいくらいです。

好きで引きこもってねえ!と文句を垂れようが、客観的には、非常に豊か。

ひきこもりが自室のパソコンで、「おねだりマスカット」の動画を見るのは、
時代が時代なら、殿様にしか許されなかった、ぜいたくの極みであります。


あんな風に面白い遊女を集めて、トンチのきく参謀(作家のこと)に任せて、
盛り上がる宴を開くとしたら、そこに座するのは、本当に限られた者だけで、
それを自室にいながら、鼻くそほじりながら流し見するとは、あっぱれです!

しかも、まるで蛇口をひねるようにエロ動画が、それも南蛮渡来の舶来品、
金髪女郎の動くポンチ絵、蓄音付きの春画が、無限に見れるという、幸せ。

それもこれも、記録する技術と、広める技術を革新してくれた、ご先祖様が、
いてくれたおかげです。我々は、仏壇に手をあわせ、感謝すべきなんです。





とはいえ、ひきこもりはハッピー!なんてことは、全員にはいえません。もし、
ハードなひきこもりの人から、「どうすれば外出できるか?」と質問されても、
そこら辺の本にのってる以上のことはいえず、助けることもできないでしょう。

そこで前回、部屋から一歩も出られない人達のことを、「積極的ひきこもり」、
そして、外出しようと思えばできるけど、自分の部屋の方が楽しいし、めんど
くさいから必要最低限しか出ないライトな人を、「受動的ひきこもり」としました。

しかし、ここでわかりやすく、「ひきこもり」という言葉を、部屋から出られない、
ヘビーな人限定に使い、それ以外のライトな人達を、「ヒッキー」と呼ぶことに
しました。これは「ひきこもり」に「Y」をつけた形容詞で、より軽い意味ですね。


本来、皆がどういう使い方をしているか知りませんが、このブログ上において、
「ヒッキー」は、自室に引きこもりがちなインドアな人、そして、通勤や通学など、
普通に生活していようが、殻に閉じこもり、引っ込み思案な人達まで含みます。

「ひきこもり」から「こもり」の部分をとり、「ひき」を強調した感じの「ヒッキー」で、
宇多田ヒカルも「ヒッキー」と呼ばれているそうだし、光る人の意味もつけたい。

なぜなら、これからの日本は「ヒッキー」が担っていくからです。これマジでっせ。


なお、ヒッキーがするナンパを、これからは「家系(いえけい)」ナンパと呼びたい。

これが、ひきこもりナンパじゃ、カッコ悪いし、セカイ系ナンパも、用語が古くさいし、
セカイ系ではなく、「家系」とするのが、日本風だし、「家元」制度もありカッコいい。

こうやって用語というのは、自分で勝手に作っていいんです。これぞ「家系」です。

まぁ例によって、私しか使わないと思いますが、今後も、「家系」ナンパをヨロシク!

posted by 家元 at 13:01| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月11日

体育会系でもなく、文化系でもなく、家系(いえけい)

ナンパを三つに分けるのなら、とにかくGET!イイ女をGET!が体育会系です。

そして、じっくり会話を楽しみ、関係を深めるのが文化系といってもいいでしょう。

さらに、そんな女遊びや恋人づくりにとどまらない、第三のナンパが『家系』です。


これは、今まで誰も、開拓も表現もしてこなかったので、わかりづらくて、説明に
やたら時間をかけてますが、一言でいえば、山伏が山で修行したのを、街にて、
女という自然を相手に修行して、精神修養や能力開発することを意味してます。

文化系ナンパと似ているんですが、もっと革命的、孤立的で、浮世離れしている。

その担い手はニュータイプと呼ばれる、新しいナンパ師ですが、大抵は中二病で、
子供じみてたり、世間からの落ちこぼれ、ヒッキーが多く、中には、仕事も家庭も
成功している人もいますが、それで満足できず出家してきたというのが実情です。

「何も持たざる者が一番強い」という真理のもと、各自が孤立して修行しています。





確かに、コミュニケーションを豊かにすることを志向する点では、文化系ナンパと、
家系ナンパは似てますが、映画『桐島、部活やめるってよ』で例えるとよくわかる。

あの映画では、高校の中でのイケてるグループ、イケてないグループなどの区分、
校内カーストを描いていました。体育会系の部活に燃える集団、文化系のダサい、
イケてない集団。そして帰宅部で女にモテてる人や、その他もろもろの登場人物。

もし私が、あの高校にいたとしたら、映画には出てきません。あまり登校しないから。

そうして登校しないんだから、帰宅部でさえない、自宅部でしたが、それはそれで、
楽しくやってました。(家でコメディ映画ばかり、朝から晩まで観てた。楽しかった!)


つまり、そんな学校自体から落ちこぼれて一人でいるのが「家系」です。そうなると、
校内カーストとか知ったこっちゃないんです。それと関係なく、生きているのだから。

もう独りで勝手に都合のいいように考えて、思い込みを育み、自分の世界を生きる。

「我、想うに、我の世界あり」というやつ。そこから新しいものが生まれるわけですね。

(無知!無知!無知!知らぬが勝ちの、お尻ペ~ンペン!)

posted by 家元 at 12:27| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月12日

家系ナンパと、家系ラーメンとの違い

全然違います。

以上。


(好きだけどね)

posted by 家元 at 12:25| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月13日

ヒッピーからヒッキーへ(ムーブメントの変遷)

時代は変わりました。引きこもりの人達が、当たり前のようにナンパする時代です。

まぁ考えてみれば、無職やニート、引きこもりの人達は働いてないので、もし友達が
いないのなら、人と会う機会がゼロになるので、あとは知らない人と仲良くなるだけ・・。

結局、ナンパでもしないと、ずっと独りきりになりますから、環境がそうさせたのです。

そして、実は、引きこもり、通称「ヒッキー」達は、現代社会に対する革命児なんです。





かつて、60年代にアメリカで「ヒッピー」という自然回帰運動が起こりました。これは、
ちょうど資本主義が盛り上がってきた頃に、人間の本質を失わないよう、若者達が、
合理的で物質主義的な生活様式に背を向け、ドロップアウトした自然派の運動です。

あの有名な「ラブ&ピース!」の言葉は、このヒッピー運動からきました。具体的には、
音楽やドラッグを愛し、東洋の神秘主義思想(禅や道教)などによる意識の拡大化と
変革を志向した。もちろん、自然崇拝ですから、やたらめったら、フリーセックスです。

簡単にいえば、既存社会の名誉やお金など追わず、享楽的、感性的な生活を送った。

これって、どこか似てませんか?そうです、今の現代の若者達と同じ!あえて働かず、
消費もせず、自分なりの等身大で生きて、気持ちいいことだけを追う。そのシンボルが、
引きこもりの人達、つまりヒッキーだったわけです。社会からドロップアウトした代表者。


ただし、違う点もある。まず、酒を飲まない若者が増えたように、ドラッグなどしません。
そもそも、お金がかかるし、その末路がどうなるかは、充分、情報が行き届いています。

そして音楽も愛しますが、それ以上に動画(アニメ含む)を愛すという、まさにネットが、
発達したからこその変化が起こってますが、その最大の点が、独りで楽しむのが多い、
この一点につきます。かつてのヒッピー運動は、集団で住む共同体が主だったのです。

ハッキリいって、違いはそれだけ。今の若者も、これまでの資本主義や政府などには、
魅力を感じず背を向けて、自分自身の快適な生活、意識の拡大に興味をもってます。


人と争いたがらない、心優しい人も増えたし、いまや「ラブ&ピース」は、ヒッピーから、
ヒッキーに受け継がれたのです。もうすでに、ヒッキームーブメントは始まっています。

以前のヒッピーは、今のヒッキーより甘かった。彼らは長髪にし、同じような格好をして、
同じような思想で、集団で固まっていたのです。ところが我々は、てんでバラバラです。

趣味嗜好もそれぞれで違うし、細分化され、孤立化させられている状況の中にいます。

その中で、全てを自分で決め、自主的に行動することで、覚醒と脱出を起こすのです。





私、フミトバンクは、日本古来伝統の「何無派道場」の家元として、このヒッキー運動を、
全面的に支持します。愛に満ちた自然派ナンパ、つまりフリーセックスのお手伝いです。

60年代のヒッピー運動の時のフリーセックスと違い、今はネットがエロ動画観放題で、
わざわざ現物の女と会う必要さえありません。そのため、セックスすること自体、別に、
してもしなくてもいい、という自由さまで与えられていて、真のフリーセックス状態です。

そんな状況でも、現物の女に飛び込み、混じり合っていこう!という運動家のために、
情報発信、叱咤激励、挑発、啓発をしていこうと思っています。それが私の使命です。


瞑想、コトヴァ、ナンパのプロである私は、自然回帰運動として、野山や海などよりも、
女性という「自然」を選ぶことをお勧めします。かつてヒッピー達は、大自然を好んで、
野山に出かけ、共同体を作ってましたが、わざわざ、そこまでする必要はありません。

都会にも大自然はある。どこもかしこも、女だらけです。女こそが最強の天然物です。

なので普段は、独りで部屋にこもっていてもいい。ちょっと外に出れば、超絶アウトドア。


世界を放浪していたヒッピーと違い、現代のヒッキーは部屋にいながらにして、世界中
の情報が手に入るため、わざわざ外出はしません。外に出るのは、女に飛び込む時!

ただ引きこもっててもいいところを、外に出るのは、自己の意識解放が目的でもある。

この世には、自分の肉体を動かし、外界にさらさないと、わからないことが多いから・・。


そうして、女という険しい山にこもって、女という滝に打たれて気をひきしめ、女という、
温泉につかり癒される、「何無派修行」に身を投じるのが、ヒッキー運動そのものです。

もちろんナンパは、ヒッキーだけがやるものではないため、象徴としてのヒッキー運動。

これは別名、何も持たざる者、「何無派師」の運動であり、もう何だってええじゃないか!

そう開き直って祝祭的に生きる、「ええじゃないか」運動でもあります。(ラブ&ピース!)

posted by 家元 at 13:11| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月19日

ヒッキーの末路は自殺か?他殺か?

ただ部屋にこもってる人達、引きこもりは、一見、幸せにみえます。

特に、親に食わせてもらったり、しばらく生活できる貯金があるなら、
すべての時間が自由で何やってもいいわけです。これはパラダイス。

ところが、やるべきことがない時、夢中で何かに取り組んでいない場合、
それは地獄に一変しやすい。ただネットや読書やDVDなどの受け身的
娯楽を享受しているだけだと、気づいたら、ドツボにハマってたりもする・・。


これはすごく大事なことだと思っていて、極めてシリアス面で書きますが、
究極的には、自殺するか?誰か他人を殺すか?にまで行ってしまいます。

独りきりでいると、何をしようが何を考えようが、何でもありです。そうすると、
何もしなければ、大抵マイナスのことを考え、それが集積していき、次第に、
自分の考えた妄想に追いつめられ、閉じ込められ、爆発してしまうのです。

その強烈なマイナスのエネルギーが内側に向ったら、「自分を殺せ!」で、
外側に向ったら、「あいつを殺せ!」となり、身内を殺したり、通り魔になる。

いわゆる「脳」が暴走するのです。これが、引きこもりのダークサイドです。


もちろん、普通に外出して働いてる人も、同様に追いつめられたりしますが、
他人と会うと、脳がリセットされやすいんです。叱られたり、褒められたりし、
ぶつかりあって影響を受け合い、陰で悪口を言ったり、何かと発散もできる。

ところが延々と独りでいると、ひたすら自分の思考がグルグル繰り延べられ、
脳が固定化していき、どんどん鈍くなって、沈殿していく。そして暴走します。

すべては「脳」に対して、何もせず、放っておいた、自分の責任なんですね。

他人とあまり会わないヒッキーこそ、自分の「脳」をリセットしなくてはならず、
それはもう命がけで、意識的に取り組むべきです。本当に、命がかかってる。

気づいたら、ワケわかんなくなってますよ。そして、誰も助けてくれやしない!


自分を救えるのは、自分だけです。それはメチャクチャ孤独で、心細いですが、
やらないと気持ち悪い生活になり、気持ち悪い性格になって、苦しむだけです。

これは警告でも何でもない。私はヒッキーを救うつもりはありません。勝手に、
苦しみたいなら苦しめばいいんです。独りになってしまったってことは、すべて、
自分に任された「自由」を得たことです。どんなセカイを創ろうが自己責任です。

底抜けに明るいセカイであろうと、泥沼化した死のセカイだろうと、あなた次第!

だから「自由」ほど、心底震えあがる、おぞましいものはない。おっかないっす・・。

他の誰かにやるべきことを決められ、縛られるほうが、どれだけラクなことか・・。





ヒッキーが心身を病みやすいのは、「脳」自体が放っておくと、暴走するからです。

ラクしている自分を正当化するためだったら、「脳」は体や心を病気にまでします。
ひどい難病になり、働かなくていい、何もしなくていい状況を自ら作り出すのです。

ほんと、とんでもねえ野郎ですよ。敵はね、親でも社会でもない。「脳」なんです!

私は押しつけがましいと思われようが、一つだけ主張したいことがあって、それが、
「脳」が最大の敵だということ!「脳」は敵なんですよ!これ、知らなきゃ損する!


この「脳」が敵ということは、自分に向き合わざるをえないヒッキーにとって切実・・。

普通に会社勤めとかしていると、外部からスケジュールや仕事を決められますし、
いろいろ他者から流れができてるので分かりづらいのですが、ヒッキーのように、
何もやることがなく、全部が自由な時間となると、これが痛いほど、すぐにわかる。

とにかく、すぐにサボろうとするんです。そして再び計画を立てるが、また挫折して、
それを繰り返すうちに、もうどうでもいいやと元気を失い、沈滞していく。その時は、
そんなに挫折感なくても、すさまじく時間たってから、無駄に生きたと愕然とします。

で、愕然としたショックで再起できればいいんですが、そこでさらにあきらめモード
に入り、余生をそのまま、さらに低下した気分で生きる、なんてことになりがちです。

ふざけんな、馬鹿野郎!こっちはせっかく生まれてきたんだ。生ききってやるわい!


私はすさまじい時間を無駄にしてから、この「脳」が敵だと、ハッキリわかりました。

そこから人生は一変しました。別に、ナンパで結果が出たなんてのはオマケです。

ただ、何も持たざる男でも、「脳」を研究、超越するためには、ナンパが適しており、
一歩外に出て、話しかけるだけの素朴な作業ですから、やはり一番のお勧めです。

イヤっていうほど、「脳」のもつ特性を味わえて、そのぶん、喜びもひとしおですから。

私はこの素晴らしさを伝えるために、何無派道場を開き、家系ナンパを提唱しました。

次回は、そんな、タダで最強の自信と最高の幸せを手に入れる方法をお伝えします。

posted by 家元 at 16:49| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月20日

無根拠な自信と幸福を手に入れる方法

何も持たざる者が、どうすれば底抜けに楽しく生きられるのか?

その答えの一つを、十年探究し続けてきた何無派道場の家元が、
あらためてナンパを取り入れたライフスタイルとして、提示したい。

特に、引っ込み思案の者やヒッキーの人には、役立つことと思う。





まず、根本的な前提として、我々が考えている「脳」というものが、
決して自分の味方ではなく、邪魔する敵だというのを知ってほしい。

ありとあらゆる不安や不満を生み出し、足を引っ張る、この「脳」は、
本来、我々を守ってくれる召使いであったのだが、いつの間にやら、
主人の上に立って命令してくるようになり、立場は逆転してしまった。

ノビノビと、本音で行動しようとしても、「脳」に制御されて、出来ない。


いまや多くの人々が、自らの「脳」の奴隷である。しかも、そのことに
気づいていない!というよりも、「脳」が気づかせないようにしており、
その策略の見事さは、敵ながらアッパレとしかいいようがないほどだ。

「脳」は自己正当化、自己欺瞞のプロであり、我々は、まず勝てない。

たとえば、何かイヤなことがあると、他人を責めたり、社会のせいにし、
自分のことを棚に上げる。または逆に、自分はダメ男だと、自己嫌悪に
はまりこむ。そんなことしても何の解決にもならないのに、必ずそうなる。

これを仕組んでいるのは、「脳」である。「脳」は、あなたをあきらめさせて、
他者のせいにし、他者を非難させておけば、ラクができる。建設的に考え、
自ら行動するのはエネルギーを使うので、それを避けては、眠りこける・・。


いいかげん、この不平不満が延々続くメリーゴーランドから降りるべきだ。

なぜなら、放っておけば、欲求不満が募り、極端な話、自殺するか、誰か
を殺すかという、追いつめられた「脳」の最悪の暴走に到ることもあるから。

そこまでいかなくても、不活発で、面白くも何ともない生活にはまりこんで、
こんなはずじゃなった感と共に、日々を、惰性で生きるだけになってしまう。

そうなった原因は、もちろん、親にも社会にもない。ただただ、「脳」である。


自らの「脳」に対して何も手を打たなかった、自分の責任であり、ある意味、
罰ゲームともいえる。しかし、本当に、そんな情けないことで納得いくのか?

本当は、心の奥底では、そこから脱出したいと思っているのではないのか?

もしそうなら、自分で自分を救う気があるのなら、このブログを読んでほしい。

私は、あなたを救うことはできない。しかし、自分で自分を救うことに関して、
何か少しでもヒントになるかもしれない。たったそれだけの望みで書いている。





では、あらためて、何も持たざる者が、ナンパを使って底抜けに明るく生きる、
その術(すべ)を簡単に説明する。ナンヴァ使いと、コトヴァ使いについて、だ。

まずはナンヴァ使い。これは自らの肉体に意識を集めて、「脳」から離脱して、
自由になる訓練で2タイプある。最も大事な『跳(ちょう)』と瞑想の『禅』である。


この『跳(ちょう)』というのは、跳躍することで、脳がウダウダとやらない理由を
述べ始めたら、それを無視し行動すること!これは主に気合いを入れ、勢いを
つけることで達成される。これが、「さっさと10人声かけろ」という戒律であった。

この時のポイントは、行動するための「理由」など不要であるということ。むしろ、
邪魔である。ただ純粋に、行くだけ。この量子的跳躍によって、何を得るのか?

ズバリ、無根拠の自信である。誰もが欲しがっている、あの根拠なき自信という、
パワーの源が手に入る。実は、これはアッサリ手に入るのだ。根拠なき行動を、
瞬間的に重ねるだけで、ただ跳ぶだけで、タダで手に入る。これは盲点だった!


実際、根拠のある自信というのは脆い。自分は若いからとか、結果出してるから、
だとか全ては脆い。人は年をとるし、結果なども他者と比べたとたん、もっと凄い、
強者が現れて気になり、不安になる。要は、根拠というのは奪われる運命にある。

ところが無根拠の場合、根拠なんてないんだから、誰も奪えない。そして、それは、
唯一、さっさと行動すること、跳躍することで、笑っちゃうほど、アッサリと手に入る。

実をいうと、このメカニズムは、堂々めぐりの「脳」を無視して跳ぶことで、その瞬間、
「脳」がリセットされるところにある。PCの強制終了に似てるが、もっとすがすがしい。

思考に使われていたエネルギーが、まるごと自分のものとなり、「脳」自体も、再度、
新たに起こったことに関して働き始めるので、あなたは「脳」の主人という実感を得る。





ところが、この跳躍だけで、気合いだけで行動していると、さすがに不満や不安など、
溜まってきてしまう。リセットだけでは消えない、抑圧されたシャドーが逆襲してくる。

これがよくある、大量に声かけした後に、反動で声がかけれなくなってしまう現象だ。

そこで「陽」の跳躍に対して、「陰」の瞑想が役立つ。ここでは瞑想を「禅」と呼びたい。


「禅」は何もせずに静かに落ちつき、体を感じ、空間を感じ、浮かんでくる思考なども、
全てを感じることで、「禅」は「全」であり、「善」でもある。これは、深い脳のリセットだ。

慣れてくると、5分瞑想しただけで、悩みが消える。悩みとは葛藤であり、思考という、
物事をズダズダに分断し、分析していく機能が行き詰った状態。これを瞑想によって、
解きほぐす。思考によって物事を分けたのを、今度は逆に、また統合しなおすのだ。

瞑想による「悟り」というのも、自他の「差」をとることであり、思考の分ける機能とは、
真逆の統合する機能が、瞑想にはある。考えすぎる人やヒッキーで、もし瞑想せず、
ネットばかりしているとしたら、精神を病むのも仕方ない。怠けた自分の責任である。


この瞑想の「禅」こそが、脳を深くリセットさせる強力な武器。ところが部屋にこもって、
ただ瞑想してても、たいして深まらない。これは前述した、脳を無視して跳ぶこととの、
ワンセットで、どちらが欠けても、その効果は半減する。両者は陰と陽の関係にある。

まずは溜まったエネルギー、過剰な思考のエネルギーを外に出し、解放するという、
動的な跳躍があってこそ、落ち着いた、静的な瞑想が機能するのであり、また逆に、
ただ気合いで続けるだけなら、同じ事の繰り返し。瞑想するからこそ、気づきがある。

ハッキリ断言するが、ちゃんと飛び込んで行動し、瞑想するならば、全ての答えは、
自然に得られる。瞑想中やボーッとしてる時に浮かんだり、声かけ中にも思いつく。

つまり、この跳躍と瞑想という、陰と陽の修行さえすれば、自立は約束されるのだ。





さて、以上の二つが、ナンヴァ使いになるための肉体的修行である。極めて動的な
跳躍と、極めて静的な瞑想は、思考というよりも、むしろ肉体的感覚に基づいている。

跳躍は、どんなことがあろうとも声をかける!と一点に意志を集中させる行為であり、
瞑想は、全てをあるがままに感じようと意志を放棄する無行為であり、正反対だった。

この正反対の修行によって得られるのは、無根拠の自信と、無根拠の幸福感である。

跳躍は一切の根拠を必要としない、たくましい精神力を与えるし、瞑想は、ただジッと
しているだけで気持ちよく、腹の底からジワーッとした優しい幸せで満たされてしまう。


両者とも、お金はかからないし、何も持たざる者が、自信と幸福を手に入れる近道だ。

ただし、これだけでは、まだ自己満足の域を出ない。もちろん、全てはまず自己満足
こそを最初に満たしてから、初めて他者へと目を向けるのだから、全然間違ってない。

そこで次は、他者との真なる交流を求めての修行、コトヴァ使いについて述べていく。

posted by 家元 at 10:17| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月21日

一生飽きない、ナンパトーク修行

日本古来のナンパを極める、「何無派道場」へようこそ!私が自称、家元であ~る。

この道場では、落語の世界にならって、三段階で進む、ナンパ修行を推奨している。

例えば、ナンパ修行を始める(再開する)入門者に対しては、最低10人に声かけて、
まず10人の連絡先を集めることを課してきた。その基盤となるのが、跳躍と瞑想で、
この動と静の肉体的修行により、初歩的なナンヴァ使い、いわゆる何無派師になる。


そうして見習い期間を終え、前座修行に入ったら、次はコトヴァ使いの修行がメイン。

10人連絡先を聞くまでは、ひたすらワンパターンの声かけで構わないが、前座では、
いろんなコトヴァを試してほしい。そのコトヴァの世界の奥深さ、豊かさにひたるのだ。

地位も金も美貌も持ってない、何も持たざる者にとって、最強の武器となるのだから。





まずコトヴァの基本として、心に深く刻んでもらいたいのが、コトヴァはタダということ。

世間には、魅力的なコトヴァが無料で、無限に落ちている。なぜ、それらを使わない?

いくらでも自由に使っていいのに、なぜいつもの退屈でワンパターンなコトヴァしか、
多くの人達は使ってないのだろうか?こればっかりは、その心理が理解できない・・。

私は、その悔しさから、「何無派落語」を設立し、自らをその家元に襲名したのだが、
このテーマに関しては、音声メルマガを主舞台に、強烈に展開していきたいと思う。


なぜなら「言葉」を訓読みの「ことば」ではなく、音読みの「コトヴァ」と呼んでるように、
あくまでもコトヴァ修行は音波による口語表現を意味しているので、文章では無意味。

そんな理由から、コトヴァ修行に関しては、ただ概略を簡単に説明するだけになるが、
そもそも話は単純である。『断(だん)』と『笑(しょう)』という、正反対のコトヴァを使う。

これもナンヴァ使いの時と同様に、陰と陽の2タイプの修行があり、お互い補いあって、
何も持たざる男に対して、絶大なる自信と幸福をもたらしてくれる。それが『断』と『笑』。


まず『断』は断定であり、男らしくカッコいい、強気のコトヴァを使うこと。または暖かい、
相手がホッコリするようなコトヴァも使うので、これは『暖(だん)』でもあり、男らしさの
『男(だん)』でもある。とにかくハッキリと断言して、そのコトヴァで、相手の芯を貫ぬく。

これは言いきるのがポイントで、どんなに弱気になっていようが、本当は情けなくても、
関係ない。口から発するコトヴァだけ、前向きで力強いものを発する。プラス思考など、
気にする必要もない。思考なんて操作できない。それよりも口語の方が操作しやすい。

誰もオドオドし、弱気発言する人とは接したくない。気持ち悪いから。ならば、態度こそ、
弱々しくとも、せめてコトヴァ位は強気なものを選ぶ。それだけで人生は180度変わる。


脱出プログラム(序と破)』でも、普通にいけばうまくいくものを、オドオドした態度から、
失敗する例と、あまりにセコイこと言ってるのに、強気発言しているため、カッコいい!
と慕われたケースと、わざと二種類を収録したが、まさにアレである。現実はアレだけ。

とにかく何でもいい。カッコよく、力強いコトヴァを使うよう意識してほしい。電車の中で、
耳を澄ませると、大抵、皆、しょうもない内容や弱気の姿勢で話してるが、わかるかな?

大多数がグチっぽく生きているとしたら、そこで目立つのは簡単である。この人違う!
と思わせるのは、ただ断定すればいい。力強いコトヴァを使えばいい。もう楽勝っす。





続いて、明瞭さの『断』とは正反対となる、コトヴァ使いの『笑(しょう)』についても少し
書いておこう。これは、もうそのままで、笑えるようなコトヴァを使うという意味である。

な~んだ、と思うかもしれないが、笑いに関して、軽く考えすぎている人がいたならば、
それは大間違いといってもいい。笑いこそが、脳をリセットする最大最強の武器だから。

ハッキリいって、この笑いさえあれば、跳躍も瞑想もいらない位に、すべてを浄化する、
強力なパワーが、この笑いにはある。笑いなくして、爆発的な喜びはナシといっていい。


例えば、前述した『断(だん)』のコトヴァばかり使っていると、「跳躍」の時と同じように、
やはり、不満や不安も溜まってくる。基本的には、江戸っ子のようなヤセ我慢だから、
抑圧したシャドーが生まれるのである。これは瞑想で消すよりも、笑いの方が早い。

今度は、わざと自虐的になったり、ひたすら意味をズラしたり、曖昧さで遊ぶのである。

自分でも吹き出してしまう程、ヴァカらしいことを言おうとしたり、無意味に、逸脱をする。


これは先程の「断(だん)」とは正反対で、笑いのコトヴァというのは、まさにイイ加減な
コトヴァ遊びで、高田純二さんやザキヤマさんみたいな感じ。彼らは無内容で、悩みも
ないように見せる。なぜなら笑いは、「無化」することだから!常に、ゼロに帰す作用!

だからこそ、ナンパでは笑いを使うと、相手の警戒は瞬間的に無化されてしまうわけで、
他にも、失礼なことをいって「ムカッ」ときても、笑いが入るとすぐ「無化(むか)」される。

なので我々、何無派師は、『断(だん)』だけでなく、『笑(しょう)』も使い、硬さと柔軟さ、
その両方を研鑽していく。その振り幅が大きければ大きいほど、その人の魅力となる。


口下手な人は、コトヴァ使いの修行を難しく感じるかもしれないが、しょせんコトヴァは、
全て慣れである。日常会話が出来るなら、どんな会話だってできるはず。ただ自分で、
使うコトヴァの範囲を制限しているわけで、外に広がる、コトヴァの大海に出ないだけ。

本当に、コトヴァというのは何でもアリで、別に意味なんかなくてもいい。コトヴァには、
威力と魅力さえあればいい。これが『断(だん)』であり、『笑(しょう)』のコトヴァの場合、
異力と無力があればいい。常識にとらわれない、コトヴァによる芸術、それがナンパだ。

そして、その基盤となるのが、跳躍と瞑想のナンヴァ使い修行であり、そうして浄化し、
白いキャンバスを手に入れながら、そこにコトヴァで描いていくのが、あなたの人生。

描いては消し、描いては消しで、いいではないか。何度でも失敗できるのがいい所!





ナンパワールドは、常に、開かれている。お金や身分や性格なんて、一切関係ない。

そこに入れる者は、自分で自分を救う意志のある者だけであり、それ以上でもない。

修行に必要なものも、純粋に、自分の肉体とコトヴァだけであり、それ以上でもない。

決意したとたん、何無派道場は、あなたの前に立ち現われるであろう。グッドラック!

posted by 家元 at 00:13| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月22日

ナンパが出来れば、どんな仕事でも出来る

どんな境遇にあろうとも、ナンパ修行をするならば、生活はいくらでも楽しくできる。

そのためにすることは、跳躍と瞑想。そして断言と笑い。たったの、これだけだった。

そして、今がたとえ無職だったりドン底であろうと、この修行を続けさえすれば、将来、
食いっぱぐれたり、孤独に苦しむことはない。世の中を渡る、すべてが含まれている。

まず「跳躍」は、自分の脳がウダウダやらない理由を考え出したら、それを無視して、
ポンと一歩前に飛び出し、声をかけること。これはサッサと動く習慣がつくので、まず、
どこの職場にいってもやっていける。この能力は単純に筋肉だから、鍛えるだけだ。

また、平気で損の出来る性格になるので、たとえば困ってる人がいたら、すぐ助け、
人から感謝もされる。このすぐ動ける機動力は、人から信頼される、最大の財産で、
考えてから動く人が、やたら損得を考えて、ストレスを溜めるのと間逆の、清々しい、
無根拠な自信をもたらす。それが、なんとまぁ、ナンパなんかで無料で手に入るとは。


さらに「瞑想」なんかにも取り組めば、もう無敵。何もしなくても楽しいんだ、幸せだと、
気づき、いちいち焦らなくなる。なんたって、次から次へとアイデアを思いつき、人生
の答えを他人に聞く必要がなく、大概が自分でわかるようになってしまう。面白いね。

特にナンパにおいては、相手の反応がよく見えるようになり、すごい聞き上手になる。

たとえば、私も同様に聞き上手で、「なんで私、こんなことまで話してるんだろう!」
と誰もが言うほどに、相手はドンドン自分のことを話してしまう。それは技術ではなく、
私が空っぽで思考がない状態なので、勝手に、相手は情報を移したくなるのだった。

情報やエネルギーは、よりスペースがある方に流れていく。それが物の道理である。

そして相手は一緒にいると安心感を得る。こちらが無根拠な安心感を持ってるから。

なので瞑想を続ければ、他者から頼られるようになり、必ず人間関係もスムーズに
なっていく。すぐに動く意志の訓練である「跳躍」と合わせて修行すれば、鬼に金棒。





以上の二つ、「瞑想」と「跳躍」が陰と陽のナンヴァ使いの修行で、さらにコトヴァ使い、
いわゆるナンパトークの修行も、「断言」と「笑い」といった、正反対の二つに取り組む。

まず陽である「断言」は、強気発言に代表されるように、とにかく明瞭でハッキリとした、
魅力的なコトヴァを意識して使う。弱音は吐かず、たとえ間違っていようが、言いきる。

実は今の世の中、何でもありになっちゃったから、行く末が不透明で不安な人が多い。
そこに力強く断言する者が現れると、人間は不思議なもので、無意識に従ってしまう。

特に、女の子達なんか、これに信じられない位に弱い。「君は俺とつきあうんだよ。」
と30回位、断言してたら、「本当に、そういう運命なのかな~・・。」なんてなったりと、
まるで幼い子供を相手にしてるような気にまでなる。だから断言を貫けばいいだけ。

どんなにネガティブなことを考えて自信なくとも、コトヴァだけは強気で魅力的なものを
選んで口から発する。そのコトヴァによって、自分を追い込むという面もある。逃げ道
をつくらない。プレッシャーがないところに成長はない。この修行も仕事面で役に立つ。


続いて「笑い」のコトヴァ修行だが、これは「断言」の明瞭さとは正反対である、曖昧な、
ほとんど無意味で柔軟なコトヴァを用いていく。とことんナンセンスを追求してほしい。

「笑い」は、ありとあらゆる意味を無化し、弱体化させる。どんな悩みも弱みも「笑い」で
笑い飛ばしてしまえばいい。バラエティ番組に出てる芸能人なんかが、いい例だろう。
自分の短所を強みに変えている、「笑い」によって!そこに躊躇はなく、笑い至上主義。

「笑い」というのは、割れたもの再び合わせるという意味で、「割れ」「合い」が繋がって、
「わらい」となった。まさに陰と陽を統合する神事である。事実、科学的にも人は笑うと、
脳がリセットされる。笑いによって人が打ち解けるのも、このメカニズムが生じるから!


いうまでもなく、ナンパのコトヴァ修行に「笑い」は欠かせない。ただし、「笑い」だけでは、
ただの面白い人で終わることもあるので、「断言」とセットで修行する。「笑い」は曖昧で、
無意味なコトヴァのやりとりなので、深い関係になることから延々逃げることもできる。

また一方で、「断言」だけしてても、ただ強引すぎる頑固な男になってしまう。陰と陽の、
「断言」と「笑い」という、両極端のコトヴァ修行をしてこそ、バランスとれた振り幅ある、
カリスマ性を演出できるようになる。コトヴァで表現する魅力というのは、この「幅」で、
出すわけであり、何か単発的にイイことを言ったり、一発芸をするのでは決してない。

いろんな面を総合的に出すことで、その人特有の本当の個性が立ち現われる。ただ、
素で話すだけが本当の自分と思ったら大間違い。その「素」も、ただの一面であって、
本当は、まだ見ぬ未知の自分が、雑多に潜んでいるのである。それらを出すために、
両極端を意識して、コトヴァ修行を続けていく。それはあまりに芳醇で面白い発見だ。

posted by 家元 at 13:27| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする

2013年04月24日

セカイ系から家系へ(四畳半神話大系)

今日は、日本を代表するアニメである、エヴァの映画『Q』のDVD発売日でした。

しかし、もう買うことはないでしょう。あまりの完成度の低さに、興味を失いました。

初回を観に行き、その思考だけでこねくりまわした不自然さに、ナンパ初心者が、
斬新な声かけをしようとして、ダダズベリしているような、残念さを感じたものです。
(一応、その当時はレビューも書きましたが、完全にエヴァ熱が冷めてしまった。)

思えば、エヴァは『セカイ系』といって、「きみとぼくの世界」が「世界の破滅」だとか、
大げさなものに繋がるという世界観の元祖アニメといってよく、私自身も、かなり、
このセカイ系というものにハマって、ナンパ自体も、セカイ系だと自称していました。

しかし、震災後、すでに古くなっていたセカイ系はもう完全に終わったと思う。実際、
こちらの日常とは関係なく、世界は突然、破滅することがリアルにわかったし、もう、
『セカイ系』ごっこなんて絵空事になってしまった。もう浮いた話にハマれませんわ。


で、次は何かというと、『家系(いえけい)』です。ネットの発達や、海外旅行の格安化
などで、世界は狭くなりました。と同時に、家は広くなっています。自宅にいながらも、
世界中の情報、人々の意見も知れて、情報空間という意味では、家の空間は広い。

そして、この「家」という意味をホームとまで拡大すると、ご近所や、近くの街なども、
ホームタウンという「家」に含まれます。つまり、「家系」とは、自分の部屋とそこから
派生する近所などを大切にし、遠い世界ではなく、近隣こそ慈しむことを意味します。

ネットの発達と海外旅行の手軽さにより、かえって、いつでも行ける世界より、近所、
近郊の街、そして身近な友人や仲間、身内などを、めちゃくちゃ大事にし、その中で、
絶大なる幸せな生活を味わうというのが、『家系』です。幸せをどこか遠くに探さない。


実は、欲しいものは全て、身近で手に入るし、些細な日常も、どれだけ楽しくするかは、
自分自身のちょっとした工夫や見方を変えるだけにかかっています。これは、どこか、
箱庭的ですが、実際、身近で些細なことというのは、じっくり見ると奥が深いものです。

外の宇宙に飛び立つのは大変ですが、内宇宙にはすぐ入れるし、自分で創っていく。

これからは、この『家系』というのが、もっと主流になると思う。しかし、こんな説明では、
よくわからないでしょうから、『家系アニメ』の傑作、『四畳半神話大系』をご紹介します。







この『四畳半神話大系』は、私にとって、生涯ベストの作品です。以前、いろいろ映画
を紹介しましたが、そんなものはすべて吹き飛ぶ、オールタイムベストの『家系アニメ』。

話の筋自体は単純で、大学三年の主人公が、もし違うサークルに入っていたら、どう、
人生が変わっていたか?というのを何度もやり直すパラレルワールド系で、とにかく、
その完成度、そして見終わった後に、ここまで清々しい気持ちになれるものは、ない!

特に、最後の引きこもりから脱出するところなんて・・、いや、ネタバレは絶対やめよう。


とにかく、大学生はもちろん、ヒッキーの人とか、人生やり直したい人とか観てほしい。

絵柄が萌え系じゃなくて、アッサリしてるし、基本的に明るい話だから、元気になれる。

もう震災後は、エヴァみたいに暗い話なんか観てらんない。それにエヴァはキリスト教
を舞台装飾に使っているけど、この『四畳半神話大系』は、神道を装飾にしているから、
とても和風で気持ちいい。和風のナンパを意向している私にとって、完全にツボでした。


ところで、なんでこのアニメを『家系』と呼ぶかというと、単純に、四畳半ばっか出てくる、
なんて話でもありますが、パラレルワールドの変化を部屋ごとで表現し、自分の選択で
世界が変わるのに、その構成要員は同じだったり、舞台も非常に狭かったりする部分。

世界の破滅なんて出てこない。それでいて、どこか輪廻からの解脱を思わせる深さ・・。

ほとんど京都の片隅で展開する、狭い話なんですよ。それなのに、あそこまで豊かに、
面白く出来ること自体が『家系』です。日常のどうでもいいことを、うまく自分で脚色し、
楽しんでる部分もある。「自転車整理軍」だとか、少~しだけズレた世界を描いている。


私は、すっかりこの『四畳半神話大系』にかぶれ、一年前には『何無派神話大系』など、
いってましたが、今でもなお自分のことを四畳半主義者ならぬ、何無派主義者と呼び、
神官の格好をした樋口師匠に自分を重ね合わせ、日々をひょうひょうと暮らしてます。

春から「ええじゃないか」とか「家系」とか言い出したのは、主にこの作品の影響です。

これからは、おそらく、このブログも、樋口師匠になりすまして書くかもしれませんね。

底抜けに明るくて、完成度の高い、パラレルなものを創りたい。その一心なんですぅ。

(次回作『ナンパ脱出プログラム(究と極)』は、副題:『何無派神話大系』となります)

posted by 家元 at 11:32| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする