2017年04月14日

戦後のナンパ教育の弊害(今こそ、スタンド使いへ)

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弱者が、街で声をかける時、周囲の視線が気になります。臆病で内向的なので、仕方ない。

この恥の文化を中心とした日本で、街中で声をかけなくてはいけない、これは難しいことです。

ナンパというのは、和の道ですから、常に矛盾を抱えます。実際、声をかける時、周囲ばかり、
気にしていたら、恥ずかしくなり、まず声かけれません。これが無言の同調圧力というやつ・・。

なんたって、声かけないのが普通なんですから。そこから飛び出すのは、考え出したら、もう、
ムリです。だから同調圧力を突破するためには、意識を集中させないといけない。要するに、
周囲なんて除外する。声をかける標的に1点集中してパッと入る。この意識の「絞り」が必要。

これを「思考」からの離脱と呼んできましたが、さらに詳しく説明するなら、意識の「絞り」です。


意識にはズームインとズームアウトがあって、実は、普通の人はこの調節がサビついていて、
なんとなく生きています。スポーツや武道などで、よく使ってた人は、わりかし声かけれますが、
平和ボケして使ってきてない人は難しい。ゆえに、ここに最初から、個人差が現れるわけです。

言葉にすれば「集中と拡大」となり簡単ですが、普通の人にはその凄さが全く理解できません。

戦後のナンパ教育が間違っていたのは、ルックスだけ磨けばいい、という物質的アプローチと、
いやいや、トークこそが重要なんだ、という理知的偏重でした。本来、最も大事な内面問題は、
「ノリ」だ、「根性」だ、といった曖昧な言論しかなかった。そこを徹底究明していったのが、和道。

ここナンパ道場では、この内的操作の領域を「スタンド」と呼びます。スタンドとは、立つことで、
自立を意味しますが、同時に、蛍光灯のように、闇を照らすことも意味する。つまりナンパ師は、
一隅(いちぐう)を照らす者といえます。まずは自分が輝き、他者をも輝かす、日本の希望です。

posted by fmtbank at 12:49| カテゴリ無し | 更新情報をチェックする